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哀の闇
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すっかり日も落ちてからどれくらいになっただろう?
もうそろそろ部屋に戻らないと・・・・


そわそわと落ち着かなくなってきたキャロルを目の中に捕らえる。
腕をのばして無言で杯を突き出し酒の追加をうながした。
突き出された側のキャロルは少し溜息混じりな様子で酒瓶をかたむけ器を満たす。

触れると極端に拒否反応を示すので隣に座らせているだけにさせているが、それでも居心地の悪そうなことは手に取るように分かる。
だが、これ以上離れて控えさせるのは嫌だった。
手が届くようで届かない・・逃げ出せそうで逃げ出せない・・そんな微妙な位置でキャロルは座していた。

「あの・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

口を開けばすぐさま射るような眼光が機嫌を損ねたかのように飛んでくる。
言いかけた言葉も舌先でもとに戻らされてしまう。
そんな状態が又延々と続いてしまい、さらにずるずると時が経過した。

(でも・・本当にそろそろ帰らなきゃ・・・・・・いつまでたっても抜け出せなくなっちゃう。)

日に日にこの夕刻からの時間が長くなっている。
毎晩夕食にはべらされ、片付けの際に膳を下げるタイミングをはかって当初は退出できていたのだが、なんの弾みか食後酒をつぐはめになって以来、他の侍女たちと一緒にさがることができなくなってしまったのだ。
王の食事が終われば基本的に側仕えの侍女たちは大勢必要としない。
あとは王のくつろぎの時間になり、気の強い王にはよほど指示がない限りほとんどの侍女は遠ざけられる。大抵その後王の部屋へ出入りするのは姉のアイシス女王かナフテラ女官長ぐらいのものだった。
・・・・それが・・・

3杯になり・・・5杯になり・・・・
30分が1時間・・・2時間・・・・と、夕刻までで済んでいた事が夜中にまで伸びてきている。

すいっと又杯がのばされた。

(もう・・・一体何杯飲むつもりなのよ・・・ !いっそのこと酔いつぶしてしまったほうが早く帰れるかも・・・)

メンフィスはキャロルの眉間に皺がよったのを内心面白くながめていた。
なんとも読みやすい。
考えていることなど筒抜けだ。

「もうなくなったので替わりのお酒を持ってきます。」
「ふん・・・・・・酔いつぶそうなどとしても無駄だぞ。・・・酒はもうよい。」
「そ・・・それじゃあ、わたしはこれで・・・・きゃぁっ!」
「・・・・・・・行ってよいとは申しておらぬ。」
「なっ、なによ!お酌はもういらないんでしょう。だったらもういいじゃない!は、離して!」
「ここにおれ。」
「いやっ!」
「・・・・・・またわたしの命令に逆らうのか?いちいち反発しおって。」
「わたしはあなたの奴隷じゃないわ!何度もいっているでしょう。しかたがないからここにいるだけで・・・とにかくもう用は無いはずよ。だから戻ります。」
「・・・・用がなくてはならぬなら作ってやるぞ。」
「えっ」

・・・・なに?なによ・・・!!!
静かにニヤリと不敵に微笑まれ、ただならぬ嫌な予感が襲い掛かる。
やめてよ・・・ちょっと・・・

「・・・・・・夜伽役が良いか?それとも・・・」

一番避けたい状況をストレートに発せられ、瞬時にカッと血が逆立つ。

「なっ!!なにを・・!!冗談じゃないわっ!!!」
「ああ冗談ではない。わたしはおまえに『ここにいろ』と命じた。役目が必要ならそう命じることも出来る。おまえが奴隷であろうとなかろうとな。それが嫌ならそこにじっと黙って座っておれ。」
「・・・・・・・・・・・・・部屋に返して」
「・・・・・・・・」

「・・・もう・・・・・もう下がらせて・・・・・」

沈黙でもってそれを拒否する。
もうしばらく側で眺めていたいのだ。
いや・・・・一晩中・・・一日中でも・・・・・・・・・・ずっと傍から手放したくない。

口元に杯をつけて、中身が底だまりにしか残っていないことに気づく。
少し気だるいような・・それでいて浮き立つような体の酔い
いつもよりも酒量が多いのは確かだ。
だが、それくらいで意識までぐらつくことはもちろんない。
それでもなんとなく以前よりふわりと浮き上がるかのような何かがまといつくのは何故だろう。
何故・・?
ふん・・・問う必要もなかろうに

ふいにメンフィスの口元が可笑しげに緩む。
「?」
キャロルはいぶかしげにその様子を見ていた。

愛しい娘がそこにいるというだけで、なにもなくても酔えるものなのか・・・・
これが素直に微笑んでいればよいものを。
気の強いヤツめ

しかし・・・・・なんと鋭い光を放つ碧眼だろうか
青い・・海のような瞳
奇跡のような金の髪
こうして見ると、昼間とは又違った色合いを見せる娘の容姿
室内のほの暗い明かりに淡く揺らめく
闇夜に紛れ込んだ青く白い月。
冷ややかに、かつ鋭く人の心に突き刺さる。
その身から発する不思議な輝きに目が離せない・・・・


掴まれた腕をむりやり振り払い、キャロルは先程座していた場所にへたりこんだ。
このまま無体をされてはたまらない。
腕力でかなうはずはないのだから・・・・・。

ますますけわしくなってゆく娘の表情に、メンフィスは心の内でやれやれと肘をつきながら息をつく。
毛を逆立てた猫の如し・・・・・。
ひきつったままの緊張した震えまで手に取るようにわかる。
なついて擦り寄ればさぞかしかわいい存在であろうに・・・
手を伸ばせば恐怖をあらわに爪をたてる


―――愛しくてたまらぬのに
どうすればこの美しい金色の猫を手なづけることができるのだろう?
素直に寄り添えば、優しく抱きしめてやろうものを・・・
このわたしに向かって小さな牙を剥く。
まぁ・・すんなりと手に入れられる獲物であれば、面白みに欠けるだろうがな・・・・・これほど興味をそそられることも無かっただろう。


「・・・・あの・・・・明日も早いのでもう眠らないと身がもたないのよ。だから部屋へ戻りたいの・・・・・」
「・・・・ここで眠れ。なんなら朝は起こしてやろう。」
「!!!!」
「どこでもよいぞ。そなたの好きに眠るが良い。わたしの寝台でもかまわぬが。」
「な・・・っっ!!!」

ばんっと勢い良く少女は立ち上がり、もうこれ以上はたまらないとばかりに王の部屋の出口へと退いた。
(ふざけないでよ!)
わなわなと頭に血がのぼって唇をかみ締める。
扉の取っ手をつかみ開こうとするが、鍵がかかっているのかびくともしない。

「!!! どうして?!」

いつもならすぐに開くのに・・!!
がたがたと押しても引いても重厚な扉はびくともしない。
外に他の侍女たちがいるはずではないの?
兵士たちは?何故誰も反応してくれないの??開けて!ここを・・!!

どうしたらいいのか・・・一瞬にざぁっと血の気がひいてあせりが襲う。

「ここは王の居室ぞ。夜間の出入りは物騒ゆえ禁じておるのだ。ある時刻を過ぎればわたしの命が無い限りそなたには開けられぬ。」
「そ・・・・そんな!」
「もう既に夜間の警備時刻だ。この部屋の外の扉も開かぬ。だからそなたはここで休めと申しておる。」
「嫌よ!嘘でしょう! ここから出して! 侍女の部屋へ返して!!」
「今日は闇夜だ。・・・・出たところで下の宮殿までそなた一人ではたどり着けまい」
「か、帰れるわよそんなのっ!開けてったら!あなたの命令なら扉はひらけるのでしょう?それに内側からだって・・王自身が開けられないなんて事ありえないわ!!・・・・か、鍵持ってるんでしょうっ?!!」
「・・・・・・・・・・・・面倒だな・・」
「メンフィス!!」

噛み付かんばかりのキャロルに、ふっと目を細めてしばらく沈黙する。
どうしてやろうか・・・と悪戯めいた瞳
どうせこのままねじ伏せても、頑として折れようもないだろうが。
そう・・・そんな強情な娘
このわたしをも恐れぬこしゃくで無謀な娘
だからこそ目が離せない娘だ・・・・

「どうしても・・・・と申すなら考えなくもない。だが・・・」
「・・?」
「・・・・・・それが王に対して願いを請う態度か?」

我ながらいたぶっていると思う。
不思議と・・・妙に楽しいのだ
キャロルのまなじりがキッとますます激しさを増す。
だがそれも分かっていて面白い。
王の命令にそむくなどあってはならぬことだ。
たとえそなたの意に染まなくとも、そなたはわたしの命に従わせる。
奴隷ではないといいはるが・・・・・・それは確かに誠であろう。
これほど毛色の変わった美しい娘が、何年も奴隷のただなかで生娘のまま穢れなく居続けることなどありえまい。
重労働などみじんも知らない・・柔らかくすべらかな美しい指先。
誰をも魅了する優しい美貌・・・・
・・・コブラの毒をも消す薬を所持し、鉄を知り、その機密であろう製法まで知っていた。
普通にはありえない叡智も持っている・・・・
国外から何かの理由で潜入して・・はぐれ、奴隷村へまぎれたのか・・・
だが・・諸外国の貴族にしては言動がおかしい。間者にしてはあまりに無防備すぎる。
まったく奇妙きわまりないが・・・・・・・
この娘はそんな「不思議」を魅力として全身にまとって存在している。
何度と無く脳裏を巡ったキャロルに対する分析が淡々と彼の思考の中を流れてゆく

――神の娘・・・・か・・

しかしそんなことはどうでもよいのだ。
奴隷であろうと神の娘であろうと、わたしの前には何人もひれ伏させる。
そなたが何者であっても・・・・婚約者がいようとも・・・
(・・・・・・・・・・・・・)
そうだ――望むものは必ず手に入れる。
そなたは・・・必ずわたしの前に跪かせる・・・・・それは絶対だ。

「わたしは王だ。誰であろうとわたしに逆らうことは許さぬ。従わぬなら今すぐその衣を引き裂いてやる。」
「・・・・・・どうしろと・・言うのよ」
「そうよな・・・・・・」

長い指がキャロルに向けて優雅に伸ばされた。

「わが手に口付け跪き許しを請え。・・・そしてその口でわたしを『愛している』と申さば出してやろう。」
「な・・・なんですって・・・!!!!」

「それが嫌であれば、また『足』への接吻でも良いぞ。さぁ、どうする?」

メンフィスの含み笑いは冷酷にキャロルの心を凍りつかせた。



なんて傲慢なんだろう!!!
嫌よ・・・嫌!!
メンフィスの言うとおりに屈するなんて・・!!!
わたしは・・わたしの意志で行動するのよ。
誰の自由にもさせない
命令なんてされたくない
わたしは誰の物でもない!!!

あんな・・暴君なメンフィスに・・・・・また跪くの?
また言いなりにされてしまうの?キャロル?

くやしい・・・ 
くやしい・・・
でも・・
そうしなければ何をされるか分からない・・・
怖い・・・怖い・・・・ ママ・・・兄さん!!
どうすればいいの?


「さぁ、どうするのだキャロル?」

くっ・・と少女は赤い唇をかみ締めた。
「・・・・・・・・・・」
冷たい沈黙が空間に満ちる
そして・・ずいぶんの時を経て
うつむいたままキャロルは立ち上がった。

ゆらり・・・

震えるように両肩をだきながら、わずかに足を前に進める。
一歩・・・また一歩・・・
メンフィスは艶然と微笑する
こちらへ向かうキャロルをただ待ち遠しく。

(そうだ。・・・キャロル。それでよい。まっすぐそばに・・・わたしの意のままに・・・。)

大振りのソファーにゆったりと背を預けているメンフィスの目の前

カタリ・・・

キャロルは小さく床に膝をついた。
金の髪がうつむいたキャロルの顔を隠している。
眼下にあらわれた華奢な細いうなじ
明かり取りの炎の燃える僅かな音と、衣擦れの音だけが部屋に響く。
我知らず息を詰めその姿を見つめる。
貴人の口元に薄く浮かべられた淡い微笑――
(わたしの勝ちだな――キャロル。)
細く白い指がゆっくりとメンフィスの伸ばした手にかけられた。

(・・・・キャロル・・!?)

ひやり・・・

あまりに冷たい白い指・・・・
凍りついたような細い指先が、メンフィスの手の中で小刻みに震えていた。
そして―――やわらかに・・・指に触れたキャロルの唇

ぽたり・・・・ぽた・・ぽた・・・・ぽた・・

「キャロル・・?」

そなた・・・・・

・・・・・冷たい・・・・・・しずく・・・・・・・
指に感じるいくつものしずく
それは止まることなく手の甲に滴り続けた。

こらえるようになんども肩を震わせて・・
途切れ途切れに震える声
小さな、かすかなつぶやきのような・・
勝利に酔っていたはずの心が一瞬にして醒めてゆく


・・・・・アイ・・シテ・・・・


無機質な・・
何の感情もない途切れ途切れのかすれた音

(―――違う!! こんな・・・こんな声が聞きたいわけではない!!)

泣くな!!!
そんな風に泣くな
もっと・・もっとそなたは気丈なはずであろう!
光り輝く太陽の輝きのように眩しく・・

・・・・・アイ・・シテ・・・・

・・・・イ・・マス・・・

(!!!!キャロル・・・・・)

ばかな・・・・・
何故胸が痛い―――?
嘆いているのはキャロルのはずなのに
痛めつけたのは自分のはずなのに
どうして自分がこんなに辛い?




「これで・・・・・これでいいでしょうっ? ・・・・ここから出してっ!!!」

叫ぶようにばっとこちらを振り仰いだ顔に息を飲む
零れ落ちる涙にぬれた瞳
くやしさと悲しさと怒りを混ぜた表情が不思議なくらい美しくて
・・・・その涙のこぼれ割れる音まで・・・冷ややかに聞こえてきそうで・・・

「約束でしょう! ファラオは自分の言った約束を違えるの?」
「なにぃっ?」

どくり・・と胸の奥から不快感が湧き出す
この私になんと無礼な口を――

だが・・それ以上何も言えなかった
とっさに罵声をあげようとしたのに喉の奥でつっかかる。
なぜかわからないが、声にならない。
怒りの源は胸の奥底から相変わらず止まりもせず吹き上げているのに。
この眼に見えている姿のせいで
その青い瞳に光る涙のせいで

二つの相反する怒りに唇が震える
かみしめた両奥歯と喉にこみ上げる荒い思い
思い切りなじってしまいたい・・・・
思いのまま叫べばもっと壊してしまう・・・
そう・・愛しいキャロルはもっともっと泣いてしまうのだろう
気丈な顔の裏で・・・
嫌だ・・嫌だ!許さぬ!!
わたしの前で嘆き悲しむのは


「・・・・・・・・・・・無礼者め ・・・この私が・・約束したことぞ・・・」


たったこの一言を発するまでどれほどの時を要したか。

「・・・・・・・・・衛兵! 扉を開けよ!」
「!」


沈黙のにらみ合いがずっと続くかと思えた。
王の怒声に外で気配が動き、重たげな錠を解く音がいくつか響く。
外側の扉の開く音、そしてこの部屋の扉・・
「・・・行くがよい。」
「・・・・・・・・」
「さっさと出てゆけ。鬱陶しい!」
「・・!」
さっと怒りの赤みが娘の頬にはしる。

扉を開けたのはミヌーエだった。
「・・ファラオ・・失礼致します・・・・  キャロル?!」
その開いた隙間をすり抜けるようにキャロルが身を翻す。

振り返ることもせず・・・・娘の姿は闇の廊下へ足早に消えていった。











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