愛の奥宮殿へ                     

 Presented by 美月さま 

〜王妃の宴〜
V ・ 番外編

  『スキキライ』  


「でかけるぞ、ウナス! ついてまいれっ」

あわただしく昼餉をすませ、突風のように飛び出していったメンフィスを見送って、女官長ナフテラはひとつため息をつくと、ぐるりと室の内を見回した。
つい先ほどまでメンフィスが座っていたクッションが、立ち上がった拍子に蹴り飛ばされたのか、部屋の隅でころころと所在なげに転がっている。

世継ぎの王子の食卓に供するため、王宮専属の料理人が腕をふるってこしらえた料理の数々。
見目麗しく品数豊富に用意されたそれらの皿は、しかしきれいに平らげられたものと、ほとんど手付かずのまま残されたもの、その二種類に面白いほどはっきりと区分されていた。

「ほんに、メンフィスさまの偏食にも困ったもの……」

思わずぽつりともらした女官長の言葉に、周囲の女官たちが笑いまじりに同意する。

「まったくですわ、ナフテラさま」
「王子さまは気難しくて……味付けでも食材でも、お気に召さぬとなれば、二口と召し上がってはくださらないのですもの」
「料理長がどれほど頑張って腕をふるっても、王子さまのお口にあうのはせいぜい半分」
「無理におすすめすれば、わたくしたちが叱られてしまいますし」

本当に困ったものでございますわ、と笑いさざめく女官たちを視線だけでたしなめて、ナフテラはもう一度卓子の上を見回すと、ほうと肩を落としてため息をついた。

食卓の上に残されているのは、香草サラダにモロヘイヤのスープ、レンズ豆の煮物に、数種類の野菜の炊き合わせ……。料理長の努力を反映して、彩り豊かにしつらえられていた食卓は、いまや野菜ばかりが目に付く青々とした有り様に変わり果てていた。

全般に、メンフィスは肉料理を好み、野菜や魚貝類を摂るのはあまり好まない。
おまけに、幼いころから美食になれた味覚はなにげに鋭く、わずかでも料理に手抜かりがあれば、あっさりとそれを拒否してしまう。

本日の特別料理として、料理長が腕によりをかけた川魚の香草蒸し焼きも、我侭な王子の舌を満足させることはできなかったらしく、ほんのひと口白身をむしられただけで放置されてしまっている。

とはいえ、そこは育ち盛りの少年のこと。
嫌いなものは口にせずとも、好物はしっかりと平らげているし、パンや果物も適度に口にしているようで、栄養が足りぬということはないはずだが―――

はっきりと分かれるメンフィスの“好き嫌い”の激しさは、母のように彼を見守るナフテラ女官長の、ひそかな悩みの種であった。






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「キャロル、何をぐずぐずしておる。ここへ座れ!」

踵を返して逃げ出そうとする少女の手首を掴み上げ、つい先日ファラオの座についたばかりの少年は、そのまま力まかせにやわかな身体を引きずり寄せた。

「痛っ、や、やめて、メンフィス痛いっ、放してちょうだいっ!」
「ふん、ならばおとなしくそこへ座って給仕をいたせ。逃げ出そうとすれば縛りあげるぞっ」

ほとんどむりやり隣に腰掛けさせられたキャロルは仏頂面でメンフィスを睨みつけ、それでも仕方なく側にあったデキャンタを取り上げると、メンフィスの差し出す杯になみなみと赤葡萄酒を注ぎいれた。
極上の葡萄酒の芳醇な香りが、ふわりとあたりに匂い立つ。

「――良い香りだ。キャロル、そなたも飲むとよい」
「けっこうです」

ファラオの誘いをあっさりと断って、キャロルは侍女のひとりが差し出した皿を受け取ると、目の前にずらりと並べられた大皿から適当に料理を選んで盛り付けはじめた。

「はい、どうぞ」

これ以上無体な要求をされぬうちに、と、急いで突き出した皿にこんもりと盛られた料理の山。
鼻先に突きつけられたそれを思わず受け取って、メンフィスはわずかに眉間にシワを寄せ、じろりとキャロルの顔を睨みつけた。

「なあに? 給仕をしろと言ったのは、あなたでしょう」

つんと唇を尖らせて、キャロルはもうひとつの皿に同じ料理を取ると、それを手元に置いて掌を合わせ、それからゆっくり口元に運び始めた。
たっぷりの生野菜サラダ、やわらかく煮た根菜、スープ、青菜と白身魚の炒め物。

はっきり言って、ファラオの好みの真逆をいくその選択に、もしや少女のささやかな意趣返しかと、ナフテラは一瞬息をのんだが、キャロルはまるで含むところのない表情で、黙々と食事を続けている。

(――そういえば、この娘は……)

いつも肉料理より野菜料理や果物を好んで口にすることが多かった。
はたとその事実に思い当たり、ナフテラは内心でぽんと両手を打ち合わせると、そろりと横目でメンフィスの様子をうかがった。

キャロルにとってこの料理の選択は、他意があってのことではなく、単に無意識に己の好物を選んで差し出したというだけのことなのだろう。

メンフィスはしばし淡々と食事を続けるキャロルの様子を見つめていたが、やがて手元の皿から料理をつまみあげると、何も言わずにそれを己の口内へと放り込んだ。







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「ねえ女官長さま、女官長さまはファラオの好物をご存知でいらっしゃいますの?」
「ほほほ……それは……もちろん存じておりますよ」

エジプト奥宮殿の、華やかにさんざめく王妃の宴の一角で。
柔和な笑みを浮かべる女官長は、嬉しげに目を細めて王と王妃を見守っていた。

ファラオの好物談義からはじまって、なぜか今は熱い口付けの真っ最中。
愛しい王妃のやわらかな手と唇は、どんな料理も極上の味におもわせる魔法の一品。



「――おかげで、お嫌いなものがなくなったのですよ……あれだけ偏食でいらしたのが不思議なくらいに……」








美月様♪とってもとってもかわいらしいエピソードをありがとうございました。なるほど納得〜〜!!
ふふっ王様ったら(くすくす) 意地張って無言で頬張ってるあたり、本当に彼らしくて『スキ』ですわ♪
素敵な挿話をプレゼントいただき心からお礼申し上げます。<(_ _)>             PLEIADES