王家の谷へ

Presented by さくら様


シリアは死の砂漠



シリアは死の砂漠―――――。
灼熱の昼。
凍てつく夜。
生きとし生ける全てものを拒むかのような・・・。

―――――だが、今。
満天の星々を抱く銀砂の海原の静寂を縫って、駆け抜ける人馬の一団があった―――――。

「進めいっ!進めいっ!この砂漠、一気に抜けるぞっ!!」
先頭を走る、黒ずくめの長身の男が尊大に激を飛ばす。
ここまで二昼夜、休みもろくに取らず砂漠を駆け抜けて来た彼らが疲れていないはずがない。
だが、不平を言う者も、隊を乱す者も皆無だった。
彼らを率いているのは、この世の神と呼ばれる存在。
深い信仰にも似た、強烈な忠誠心が肉体の苦痛を遙かに凌駕する。
過酷な命令など、苦にもならない。
ましてやこの強行軍は彼らが守り神と崇める、可憐な少女を救うため―――――。
高揚する使命感に、精鋭と呼ばれるエジプト兵たちは競って王に従った。

ラーの息子。
生ける神なるエジプトのファラオ。
勇猛果敢と名高いエジプト王メンフィスは、最愛の妃キャロルの救出に成功し、帰国の途にあった―――――。

「クシュッ。」
胸元で聞こえた小さなくしゃみに、メンフィスは視線を落とした。
「寒いか?キャロル。」
少女を包む厚手の布を直してやりながら、声をかける。
「・・・ん。ちょっと。でも平気よ。」
小さく笑った少女の顔が、星明かりのせいか、ますます白く見える。
「・・・・・。」
「平気だったら。」
メンフィスは無言で手綱から片手を離し、キャロルを包む布の中に自らの手をつっこむと彼女の手首を掴んで、己の服の合わせ目からその手を差し入れ、その熱い肌に触れさせた。
「☆×△◆☆!! メ、メンフィスっ!?」
「先を急ぐ。今、暖をとってそなたを休ませてやることは出来ぬ。
こうすれば、少しは温めよう。」
「だって・・・。恥ずかしいわ。」
「・・・そなたは忘れておるようだが、我らは夫婦ぞ。」
メンフィスの声に剣呑な響きを見つけて、キャロルは昨日、彼に噛みついてしまったことを思い出した。
「あ、あれはっ!・・その、・・・ごめんなさい・・。」
「・・・ふん!どのような仕置きをしてやろうか、楽しみなことよ。」
「まあっ。・・・(小声で)意地悪っ、暴君っ、へそ曲がりっっ!!」
「・・・なにか申したか?」
「あら、なんにも?」
「・・・・・。」
勘のいいメンフィスに無言で睨まれて、内心あせったキャロルだがなんとか素知らぬふりを通した。
「・・・まあ、よい。そら、反対の手も差し入れぬか。布もしっかり巻きつけてやろう。」
これ以上、メンフィスと揉めたくなかったキャロルは、素直に彼の服の中に手を入れて裸の背中を抱き締める形となった。
「・・・熱いくらい。メンフィスって体温高いのね。」
「・・・ふん!」
なぜか不機嫌に鼻を鳴らすと、メンフィスはキャロルから視線を外し、前方に戻してしまった。

(なんで怒っているのかしら?変なメンフィス。まったく、怒りんぼなんだから・・・。)

彼の素肌に触れているお陰で凍えずに済んでいるというのに、恩知らずにもそんなことを考えながら、キャロルは心地よい眠りに落ちていった―――――。

(―――――眠ったか。まったく、人の気も知らずに・・・。)

急に重くなった腕の中の少女をちら、と見遣ってメンフィスは溜息をついた。

長い間待ち望んで、やっと妃に迎えた娘。
この娘と過ごす夜が、どれほどの至福の時であったことか。
それなのに、婚儀より時を置かずに旅立たせねばならなかった。

(あれほど辛い思いをするとわかっていれば、どんな理由をつけても行かせはしなかった・・・!!)

夜毎浮かぶのは、甘く香る白い身体、乱れる金の髪、切なく歪む妃の顔―――――。

どうしようもなく欲しいのに、キャロルを抱けぬ苦しさにメンフィスは狂った。
その身が危険だと知った時、心臓に剣を突きつけられた心地がした。
愛しい女の危機に、死に物狂いで砂漠に入り、彼女を探した。

―――――そして。

(やっとこの腕にキャロルを取り戻したというのに―――――!)

「くそっ・・!身体が熱い、だと?!そなたが欲しいからに決まっている・・!!」
メンフィスの想いに気づく素振りもなく、安心しきって彼の腕に眠る少女を軽く睨むと、メンフィスは華奢な身体を抱き直した。

(―――――よいわ。そなたは我が腕に戻った。この後は2度と離さぬ。
一刻も早くそなたをエジプトに連れ帰り、我が寝所より外へは出さぬ・・!!)

メンフィスが恐ろしい決意を固めているその腕の中で、キャロルはふわり、と笑った。
「!」
「うふ・・、メンフィス、大好き・・。」
まどろみの中で囁くキャロルの言葉に、メンフィスは眼差しを和らげる。
「・・・まったく・・。そなたには敵わぬ・・・。」
金色の髪を丁寧に布に包み直してやりながら、メンフィスは久しぶりに笑った。

「メンフィスさまっ!!まもなく砂漠を抜けますっ!」
ウナスが誇らしげに王に報告する。
「おお、抜けるか、ウナス。」
「はいっ!」
「・・・・ん?」
ウナスの威勢のいい声に、キャロルは浅い眠りを破られた。
「・・あら?わたし、ちょっと寝てた?」
「おお、寝ていたぞ。よだれを拭け、キャロル。」
「えっ!?よ、よだれっ!?」
慌てて口元を探るキャロルを、メンフィスはおもしろそうに見ている。
「よだれなんて、どこにも・・・?・・!メンフィス!からかったわね〜!!」
「くっくっく。まったく。そなたといると退屈せぬな。
よくそなたなしで、長き月日を耐えたものよ。」
そう言うとメンフィスはキャロルがなにか言い返す前にすっと笑いを納め、若きファラオの顔に戻って片腕を上げた。

「我が勇敢なるエジプト兵よっ!!シリアの死の砂漠を抜けたっ!
これより山地に入るっ!!一気にここを抜けて、ツロへ出るっ!!」
「おおっ、ファラオ!!」
「ファラオッ!!」
「我ら死の砂漠を抜けた!」
静寂の砂漠に男たちの歓喜の声が轟いた。
いかに精鋭ぞろいの兵といえど、死の砂漠にたった一人の人間を求めて分け入った時、命はないものと覚悟を決めていた。
シリアの砂漠はそれほどに厳しい、生きる者を拒む土地だった。

それでも―――――。
目の前の凛々しくも美しい彼らの誇るファラオの為ならば―――――。
その腕に抱かれる金色の可憐な王妃の為ならば―――――。
命を捧げて一片の悔いも、迷いも、彼らには無かった。

「進めいっ!!」
凛とした王者の声が、砂漠の風に乗る。
「おおっ!!」
誇らしい思いを胸に兵たちが従う。

空には満天の星―――――。
銀色の砂漠を、神の子なる若きファラオが行く―――――。
その腕に抱くは、ナイルに咲く蓮の花の如き少女。彼の最愛の妃―――――。

死の砂漠、シリアは今、彼の軍門に下った―――――。



「・・・あ?」
「どうした?」
「ここは、ライアン兄さんの会社があるところなの・・・。」

そこから先は、また別の物語―――――。



Fin






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