王家の谷へ
1へ
Presented by みんみんまま様
『萌しの季節 Part2』
食事を終えた彼は少女を胸に立ち上がった。
「部屋まで案内せい。わたしが運ぶ」
わたくしたちがお世話を致しますという周囲の声を無視して回廊を渡っていく。
少女に割り当てられた居室に寝かせ、夜具をぱさりと掛けてやる。
枕の上に両翼を広げたような、少女の金糸。
金糸に視線を取られて、改めて寝顔に魅入る。
一通り少女を見つめ、視線を切り離して側を立つ。
ふと、名残惜しんだかのように黒糸が金糸の上、音も無く落ちた。
一筋の黒髪 ―――――
護符のように・・・・・金糸の中に紛れ・・・・・
「しかと診せておけ」
女官長に命を残して慌しく視察へと向かい、居室を後にした。
側仕えのものは主の今までに無い関心に困惑していた。
・・・あのお方が・・・・このように・・・・・・・なさるなど・・・・・
確かに容色の美しい娘。
いかばかりかお気に入られたらしい。
王の姉君、女王陛下は?
正妃冊立を宣言されたばかりのお方がどう振舞われるのか??
寵を受けることになるのであろうか、まったくの気まぐれであろうか・・・・
“王のお気に入り”と呼ばれるようになる少女の処遇に心を構えたのだった。
昼前の日差しが強く、影が一段と色濃くなる頃合。
宮殿の高い天井に守られ、影を落とす天上人の住まいにて。
少女の眠りは守られていた。
気付くとまた居室の寝台の上に居た。
早朝よりは見慣れた部屋の中を見渡し、現実を反復する。
暫く考え込み、頭の芯を打つ痛みの中で朝の醜態を思い出していく。
あんな男の前で!!
自分の無様さに我が身を呪い、怒りで頬を朱に染め震えた。
昨日からの嫌事が次々と頭の中を巡り、心配事で止まる。
セチ。それにセフォラ。
セチは酷い怪我を負っている。
昨日別れたときの有様がまざまざと頭に浮かぶ。
わたしが倒れている場合ではないわ。助けないと。食事はしたのかしら・・・・
セフォラだって・・・・どうして・・・・・
あぁ・・・わたしに関わったばかりに。
助けてくれたのに・・・・
申し訳なさに身の縮まる思いがする。
しかし、それまで蒼白で感情を失った表情に生気が宿り始めたのだった。
夜具を無造作に退けて、寝台に腰をかける。
額に手をあて、気分の悪さを確かめていると女官長がまた現れた。
「気分は?侍医はなんともないと診たてられましたが。」
すると・・・わたしは気を失っている間に医者に診られたの?
重なる恥辱の嵐に翻弄されそうだったが、女官長の柔和すぎる笑顔に怒りは中和されていた。
「ええ、もう大丈夫です。」
「気分が落ち着いたようなら、お庭にいかが?外の空気も吸ったほうがいいでしょう??」
娘の髪を優しく掌で撫でつけ、そっと乱れ髪を直す。
疲れきっているであろう少女を気遣いながら。
「お庭?」
「そう、宮殿の庭には でても構いませんよ。気分も変わりましょう? ただ・・そなたには可哀想だけれど、見張りはおります。居場所はいつも知れますよ。王のご命令です。」
「・・・・・・」
侍医に診立てられた“奴隷娘”。
女官長もまた混乱していたが、主の常ならぬ行動に娘への規制を怠らなかった。
諾々とするのも面倒で言われるままに一人、階下の庭に出て見る。
確かに、箇所箇所に人がいるようである。
それでも久しぶりの爽快さに胸がすき、庭を廻っていた。
庭の美しさに心が躍り、興味を引く“遺跡”が息吹を宿して彼女を囲う。
過酷な身の上を忘れる時を得ていた。
あふれる“遺物”を興味津々に見つめていたが、その新たかな在り様にため息をこぼす。
ここは現代ではないのよ・・・・
久々に煌いていた瞳はその想いに曇り、視線を下に落とす。
足元の可憐な花に目を取られ、摘み取っていた。
――と、花は折り取られることなく黒土に培われた根ごと、するりと娘の手に飛び込んできた。
自分の所業の残酷な結果に驚嘆し、息をつまらせる。
・・・・わたしのようだ。
この花はわたしだ。
突然、当たり前に暮らしていた場所から引き離され、望まぬ生活をしている・・・わたしだ。
ただ花は何も非難を口にすることもなく、そこにいた。
育った大地に戻してくれと謂う事も無くただ、黙って。
少女の酷い仕打ちに何も言わず・・・・・
心にひたひたと押し寄せる波に気付かぬ振りをしながら大地に花を戻してやった。
のまれてはいけない。
自分を失ってはいけない。
いつか、自分もこの花のように・・・と祈りを込めながら。
白い素手を色取る薄玻璃の爪が、土にまみれることを気にかけもせず。
いつの日にか、懐かしいあの時代へ家族の下へ帰ることを夢見ながら。
待っていて、必ず帰るから、待っていて・・・
花を見ていた瞳は既にそれを認識してもおらず、望郷の中へと心は彷徨う。
次第に花は露にまみえていた。
予期せぬ塩を含んだ少女の滴らせる雨に。
気がつけば、ここに来てからよく泣くようになった。
ずいぶん泣き虫な自分に苦笑する。
娘のかんばせは、いつしか泣き笑いとなっていた。
しかし、泣いたからといってどうだというのだろう?
涙を見て心配してくれる家族なぞ、いないのだ。
思う様泣いても構わないではないか?と。
しゃくりあげ、家族を思う。
母のことが気がかりでたまらない・・・・。
あの優しい母が自分を案じて泣いていることを想像するだに胸が苛まれる。
叶うことなら直ぐに母の膝に走りより、大丈夫、もう大丈夫よと互いに慰めあいたかったのだ。
・・・・一人は嫌・・・・
足元から掬いこまれそうな不安な境遇。
曖昧な笑みすらも消え失せ、ただ頬をぬらす滴が滑り落ちていく。
「どうしたのです?」
いつのまにやらナフテラが後ろ背に立っていた。
問いを口にはしたけれど、彼女には分かっていた―――
この少女は帰りたいのだと。そう、帰りたいのだ。でも何処に??
王が連れ帰ったときには奴隷だと疑いもしなかった。
奴隷村より、あげられた幸運な娘だと思った。
1日の時も経ったわけではない。
それでも人の口端にのぼったような身の上ではないと感じ・・・・確信する。
賎の者であるはずはない。
何か理由があるのであろう・・・
王宮に長く務めた経験が身上を読んでいた。
セフォラのように自分を気遣ってくれるこの妙齢の婦人。
蔑むこともなく、他の女官と違って人の温もりを隠そうとはしない。
ほっと初めて少し、心を解き解した。
「わたし・・・どうなるのかしら?」
不安そうに疑問を訥々と口にする。
「あのお方に逆らってはなりませんよ。お前の為です。」
少女の不安も疑問も抱きとめるように・・・・優しく諭した。
しかし、少女の期待する返答は出来なかった。
萎れる娘。
しょげ返るその姿に、これから多々見せる少女の持つ気の強さは窺えない。
経験豊かな女官長にも、まったく想像できないものであったろう。
「アイシスに会いたいの。」
伏せ目がちにしていた青の瞳を、ひたりとナフテラの瞳に合わせる。
“女王に合わせて欲しい”言葉の意味にナフテラは慌てふためく。
・・・この娘をアイシス様と合わせるのは危険すぎる・・・・・!
弟王をこよなく愛するあの方はこの娘に好意をもつとは思えない。
好意どころかこの娘の命さえ危ういのでは??
「アイシス様にお会いするのは無理ですよ。女王様は今神殿にこもってらっしゃいます。余人に会うことはまずなさらないでしょう・・・・」
口にするごとに望みが潰えていくような気がする。
それでも希望を消し去ることなぞできようもなく・・・・・
「そうそう、そなた食事は?まだ朝から何も食べていないのでしょう??」
言われて初めて空腹感を覚える。
昨日も宴では食事どころでもなく、今朝も過ぎていた。
というよりも古代に来てより食事なぞ気にしてはいられなかったのだ。
「何か食べますか?」
こくりと素直に頷いた少女。
ようやくしてやれることを見つけて・・・・女官長は嬉しくなるのだった。
空腹の人間にしては呆れるほど少量の食べ物で満たされた少女。
「もう、よいのですか?遠慮なぞせずにもっとお食べ」
勧められても苦笑を浮かべて皿を置く。
「もういいの。ありがとう」と答えるだけであった。
「セチは食事をしたかしら・・・?」
満たされる程に捉えられた彼のことが気になる。
様子を見に行きたい。
女官長に強く止められても無論諦める気はない。いずれ機会を窺うつもりであった。
手持ち無沙汰に時間を持て余し、もう一度庭を散策する。
熱い日差しに照らされた少女の髪は煌めいていた。
主人の心を知らず、尚いっそう綺羅綺羅しく肩上で揺れる。
光景に目を細めた女官長。
「そなたの髪。不思議ですこと・・・・」
連れ添いの言に改めて見慣れた髪に手をやる。
「そう?そうね・・・両親とも金髪なの。わたしの髪は父似かしら?母の髪はそれは綺麗なの・・・・こう・・日に融けだしそうな・・・金の色。とても素敵な女性なの」
何気なく語った少女の両親。
今更ながら、どこから来た娘なのか??
目を見開いているナフテラに独り言のようにつぶやく。
「ここはやっぱり暑いわね。この国に来る前に、だから髪を切ったのよ。エジプト人は短くしているのが風習だと聞いていたし・・・・」
「なんだと!何を申しておる、その髪を切ることなぞ許しはせぬぞ!!」
背後から突き出た言葉の矢尻。
先刻の強さに心の臓を衝かれたように驚嘆させられた。
心当たりのある声に身が竦む。
誰であろう、自分の弱みを見せたくはなかった。
怯えたりなんか・・・恐れているところを見せたくない!
怯む自身を励まして、振り返る
声の主は肩衣を靡かせて隆々と立っていた。
瞬時、顔を強張らせて更に身を翻し走り去ろうとする。が、少女は既に捕まえられていた。
羨望の眼で見られることに慣れていた彼は自分を嫌う、あからさまさが不愉快でならず・・・
掴んだ腕に力を込めて少女を引っ立てて言った。
「・・・・・・この髪を切るだと。許さん!そなたはわたしのもの!勝手に切るなぞ・・・・そなたの身を傷つけることはまかりならん!」
「ちっ違うわよ!大体、誰のものですって?!」
自分は自分のもの、そう叫びながら自身を彼からもぎ離そうとするが――――
「無礼な!!今朝のことにしろ・・・無礼な奴!!他の者ならばどうなっているか!」
きんと罵声が彼女を打つ・・・・
「なによ!それなら、早く帰して。セチと一緒に帰して頂戴!!あなたの側になんかいたくない!」
精一杯の棘を含んだ少女の声が威勢よく返されていた。
「なにを!」
手飼いの獲物からの、この口ぶりに一層、癇を高ぶらせて少女を従えようとする。
忌々しさに腕を掴んだ指に力がきりきりと込められていく。
「お許しくださいませ!その者はまだ子どもなのです。わたくしに免じてどうか・・・!!」
目の前の二人のやり取りの凄まじさに呆気に取られていた女官長が間を分かとうとする。
突然始まった二人の応酬はとても王と奴隷のものとは聞けない。
王に逆らってはいけない・・・・
先ほど少女に伝えた言葉が女官長の心に響く。
それでも年の頃、自分の娘といっても差し支えないような不可思議な少女に情がわき始め、とても、ただ見過ごすことなぞ出来なかった。
「えぇい!どけいっっ!!」
王の腕の一薙ぎで、止めに入った女官長の身体は地面に叩きつけられた。
「あぁっ・・!!大丈夫?ごめんなさいね・・・痛くない??ごめんなさい。わたしの為に。」
王から我が身を取り返した少女は女官長を助けおこそうと側に駆け寄る。
何度も侘びを繰り返し、白い手は優しく痛むであろう箇所を撫でさすっていた。
少女の愛情を見せつけられた王は逆上して叫ぶ。
「そのような者は捨ておけい!!」
・・・・・わたしにこそ、その手を掛ければよいものを・・・まったく!わたしに逆らいおって!
他の奴のように媚びる事もせぬ!!!
せっかく王たる、このわたしが可愛がってやろうと思っているに。こやつは!
乳母であった女官長に、我知らず嫉妬を覚える。
無論彼は気付いていない。
胸を焦土に化す、この熱い想い。
この荒れ狂う感情が、なんと言わしめるものであるか知ろうともせずに。
無闇に辺りをなぎ払い、遠巻きにする女官たちの畏怖を煽るのであった。
御付武官の取り成しを得て、場が収まるまでの間に少女は王への嫌悪を更に募らせる。
嫌な人。こんな乱暴な人は初めて。
暴君ほど偉大な王であると讃えられたからといって・・・・
ナフテラは何もしていないのに!
酷いわ!!
少女が真っ向から睨んでいた。
曲線を描けば、いかばかり可愛らしいであろう・・・その蕾の唇をも噛み締めて。
忌々しくも全く意にそぐわない少女。
王に対する自分に恐れ気もなく意見をしてくる。
普段なら・・・他のものであったなら忽ち手打ちにしているであろう。
金の小首を傾げ、白い小さな拳をつくり、必死に嘴を立てる小動物。
どんなに柳眉を逆立てて睨んでみても、生来の気の優しさから青い瞳は険を含むことはない。
それどころか、その青さは彼の発火しそうな心を丸く包んで沈静させてしまう。
荒々しく高ぶる心を優しく抱きとめ、くるんでいた。
突拍子もなく、彼の心は次の瞬間凪いでいた。
この小娘・・・
あまりの不敬ぶりにむしろ興をそそられる。
こんな華奢な娘が王に逆らえると真、思っているのか―――?
「そなた、忘れているのか?あの少年はどうする??」
ぎくりとして次に弱弱しく瞳を潤ませる。
つい、そうさせた言葉を翻して、慰めてやりたくなる程に彼の心は人知れず仄かに痛んだ。
しかし彼の矜持がそれを許そうとはしない。
本心に気付こうとはせずに嗜虐心を強めてみる。
徹底的にこの娘をひれ伏させてやりたい!!
「そなた次第ぞ!!」
「どうしろと・・・大体どうして、わたしを側に置くの?!」
「そなたはわたしのもの。今宵からでも・・・・・・・」
王の言う言葉の意味に青ざめていた少女の顔に朱が走る。
「いっ嫌よ!!好きでもない人とそんなこと・・・・わたし、まだ子供なんだから!無理よ!!」
「・・・・・子ども?! はっ!そなた幾つだ??」
「16歳よ」
「それならば既に大人であろう!!十分に年は足りている。・・・・しかし確かに幼いような・・・・」
「しっ失礼ね!!16歳はわたしの世界ではまだ子どもなの。兄さんはそんなことを許すはずないわ。大体あなたの・・・なんて絶っ対にお断りよ!!」
恥じらいでほの紅く染めた頬を、次には怒りで真っ赤にして声を立てる。
身も蓋も無く王を芯から拒絶していた。
この頑是無き衒いのなさに怒りよりも笑いがこみ上げてくる尊大な人物。
「はっはっはっはっ!!兄が許さぬと??ではどうしろというのだ、そなたは」
「構わないでよ!わたしに触らないで!!わたしは絶対に帰るのだからっ」
「帰さぬ。誰がそなたを手放すと??」
いつのまにか白頬を手が包み、瞳同士がかち合っていく。
近く、より近く。
唇を重ねられ暴れる少女を胸に押し付け、彼の中の望みが高まる。
「離さぬ!離さぬぞ!!側に居れ、離れることは許さぬ」
初めは確かに外見の物珍しさに興味をもった。
なれど、この可憐な容姿にそぐわぬ、表情の豊かさはどうであろう??
知れば知るほど・・・・互いの言葉を重ねるほどに興味が湧く。
内にこそ尚、光輝く少女。
囚われていく己をまだ彼は知らない。
朝日の中で金に吸い込まれた黒髪。
その一筋が全霊を司るがごとくに彼は少女に捉えられていた。
捉えたのは金の髪をもつ少女。
彼女の存在は――――― 光。
暗闇を照らすもの。
如何ばかりの闇であってもその光にはことごとく払拭され光の世界がそこに現れる。
しかしその光が強いほどに一層濃い漆黒の影を落とすのも理の一つ。
光の存在が時空を超えて現れた。
彼女を連れてきた美麗の女王は知っていたのだろうか??
その影に身を落とし、嘆きの底に叩き込まれることになることを・・・・
影は光源から否応なく、遠ざけられることを・・・・・
幾日か後、ナイルは泣くな、泣くなとゆりかごのようにゆらりと揺れて少女を深く抱きしめる。
そうして家族の下に連れ帰る。
まるで泣き止まない赤子を母の御胸にもどすかのごとく。
王の心に愛の萌しを残したまま ――――――
Fin
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