夜光杯
「キャロル・・・愛やつ・・飲め〜」
「もう・・・メンフィスったら、お酒飲めないって言っているのに」
「んん・・・さあ、キャロル」
なみなみと小さな手に添えられた黄金のカップに手ずから酒を注ぎいれる。
淡く立ち上る酒気
どうしようかと戸惑うキャロルを愛しそうに引き寄せる。
「キャロル・・・」
すっかりメンフィスは出来上がってしまっているようだ。
頬も上気して、すっと赤みを帯びている。
うるんだ眼差しで、キャロルの全てを愛であげる
「ねぇ、わたしは飲めないのよ。だめなの。だから・・・」
困った顔で抗議しようと真正面にメンフィスを見据え、一瞬キャロルは息を呑んだ。
ふとよぎったメンフィスの暗い表情・・・ほんの一瞬のことだったのだが
「メンフィス?」
「・・・・・・・」
だまったままメンフィスはキャロルの髪をなでおろした
ゆっくりと、その場に居るのを確かめるように・・・。
そして、そっとキャロルの手から酒盃をぬきとり一気にあおる
「これならばどうだ?」
「え?」
飲み干したばかりの唇をキャロルのそれに重ねた。
ふっと上質の酒の芳香が鼻孔をかすめる
柔らかな唇にふわりと合わせるだけのやさしいKiss
「・・・あ・・・・・あの・・・・・・・」
びっくりして目をみはるキャロル
すでに両頬は真っ赤だ。
メンフィスはその反応に満足だったのかにやりと見下ろす。
「ん?もっと欲しいのか?」
そう言って、もう一度優しく口付けた。
背に回された指先は壊れ物を扱うかのように慎重だ。
いつも強引極まりない行動に翻弄されつづけていた分、驚きばかりが先走る。
このファラオの思いがけない動作に、キャロルはどぎまぎするばかりだった。
「・・・・・・そなたは・・・本当に・・・・」
「?」
「いや・・・よい。―――ここにいよキャロル・・。」
「なにいってるのよ、ちゃんといるじゃない・・・・・・・・」
(どうしたの?メンフィス・・・・・・・・・?)
さっき見上げたときと同じように、なんといってよいかわからない表情をみせた。
メンフィスの暗い瞳・・・・どこかさみしそうな・・
さみしい?
メンフィスが?
浮かび上がった言葉を無理やり否定しようとした。
きゅっと無意識に左腕を庇う
「・・・・痛むのか?」
そう言われて、はっと身を硬くする。
別に意識してのことではなかった。
でも・・・ざわざわと目まぐるしくキャロルの脳裏に今までの事がリフレインしていく。
そしてナイルに落とされた日の出来事も・・・・・
メンフィスがすかさず左の手首を取り押さえた
引っ込めようとしたのだか、やはり無理をすると腕が悲鳴をあげそうになるので、なされるままに引き寄せられる。
「あ・・」
「痛むのだな・・・」
「う、動かさなければ・・・大丈夫よ・・離して」
「・・・・・・・」
「メンフィス・・・お願い」
何をおもったのか、メンフィスはそのまま手を離そうとはしなかった。
包帯のまかれた細い腕をじっとみつめている。
「もう・・・二度と・・・このような思いはさせてくれるな・・・・・」
沈黙を破って小さくつぶやいた
しぼりだすかのように
キャロルの耳元で・・・・・
そして胸の中にキャロルをゆっくりと包み込み、そのまま豪奢なソファーの背もたれに深深と体重をあずけた。
ふう・・・と出された大きな溜息
少し酒気を帯びた息が抱きしめられた耳元をかすめる
キャロルはメンフィスの体にもたれたまま、胸元に頭を預け、メンフィスの息づかいを聞いていた。
ときおり背を、肩を、メンフィスの大きな手のひらがなぜていく。
そうしているうちに、キャロルのこわばっていた体がだんだんと緊張から解きはなたれていった。
そっと瞼を閉じると
メンフィスの鼓動が聞こえてくる・・・
「・・・ごめんなさい・・・・・」
「ふん・・・・・」
ほんの少し抱きしめられている腕に力が込められた。
愛していると・・・言葉ではなく・・ただそのぬくもりで・・
なにをしても・・・無条件に許してくれる・・・わたしはあなたの心をあんなに傷つけてしまったのに・・・
逃げ出して・・・・あなたの心を試して・・・・・
そろそろと、ためらいがちにキャロルはメンフィスの背に手を回した
「今宵は・・・ここで・・・・やすめ。よいな」
メンフィスは閉じていた長い睫毛をうっすらと開き、キャロルを見下ろし言った。
「こうして・・・わたしの胸の中で眠れ・・・・」
なにか言いかけたキャロルをさえぎってメンフィスは続けた
「ここにいるだけでよい・・・・・・。ただ・・今宵は・・・そなたを離したくはないのだ・・・・
一人にするな・・・」
その身は大切に傍らに置かれていたメンフィスのマントで包まれて・・・
(・・・・・・どこへも・・いくな・・・・)
最後には瞳を閉じ、疲れたようにつぶやくメンフィスをキャロルはじっとみつめていた。
それにしても・・オベリスクの建築現場から無理やり馬に引き上げられ宮殿に帰り着いてから、ずっとあれから・・・どこかメンフィスの様子がおかしいような気がする・・・・。
(いったいどうしたの?メンフィス・・・・?)
そういえばあの日突然アイシスが下エジプトへ行ってしまったけれど・・・
心配げに見つめていたキャロルの視線
メンフィスは自分でもあまり見られたくなかった顔をしていたのに気づき、少し自嘲気味な微笑みをみせた。
「なんだ?わたしの胸の中で眠るだけでは不足か?ならば今すぐにでも抱いてやるぞ」
くいっとあごを持ち上げ、蒼い瞳を覗き込む。
(ふ・・・・そなたにはかなわぬ・・・)
「なっ!!なにいってるのよ!もう!やっ!部屋に戻るわ!!」
「ははは。大人しくいたせ。腕をいためるぞ」
「!誰のせいよ!」
「ほう、誰のせいだ?」
「メ・・!!」
いいかけた口先がふさがれる
さっきと同じ・・・・信じられないほど優しい口付け・・・
強引で・・恐ろしいメンフィス
でも・・・そんな貴方にこんなにも優しい姿があるなんて・・・
一体誰が想像できるかしら
体中の力が抜けていく
ずるいわよ・・メンフィス・・・・
また貴方の思いのままだなんて・・・・
カタ・・・
メンフィスが側の杯に手を伸ばした
ルビー色の極上のワインを注ぎいれ、飲み干してゆく。
飲みきる前に、杯をもどした。
「美味いのだがな・・・・少し口にしてはみぬか?」
「でも・・・わたしは・・・」
ゆらゆらと紅い液体が反射してカップの中で踊っている
「そうか・・・・」
ためらいがちに、差し出された杯に瞳を伏せたキャロル
しかたなく少しのこした分もメンフィスはゆっくりとあおって飲み干した。
「・・・・残り香なら・・・・・・・・分けて・・くれる・・・・・・?」
胸の中でかすかに呟かれた言葉に、空になった酒杯を戻そうとした手が止まる。
目を細め、うつむいたままの金の髪をすき、メンフィスはちいさな頤に手をかけた
ともし火に浮かび上がる女神の娘
蒼く深い・・煌めきゆらめくナイルの瞳・・
わたしだけの・・・極上のさかずき――――――
誰にも決して渡しはしない・・・
そして誰であろうと・・キャロルのかわりにはなり得ないのだ・・・
姉上・・・わたしはキャロルを選ぶ・・・・
たとえ何が起ころうと、キャロルを愛しつづける・・・・未来永劫・・・変わることなく永遠に・・
愛しい者の望むまま・・甘い香りが広がり漂う・・
重なり眠る2つの影
運命の日はあと3日―――
Fin.
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