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秘 密 |

22
ピィィ・・・・・・・ロロォ・・・・・
抜けるような大空を旋回する鳥たち
「いいお天気ねぇ・・」
早朝の空。
ころんと寝転がり、青い青い大空を視界いっぱいに堪能する
午後になったらとてつもなく容赦のない日差しになるが、今はまださわやかな輝きだ。
そっと目を閉じると風の音も気持ちがいい
奥宮殿のある一角
3メートル四方ほどのほんの小さな露台
見張り台にもなっているこの隠れ家のような宮殿角の露台がキャロルの今一番お気に入りの場所だった。
奥宮殿内でキャロルの姿が見えない時は大抵ここにいる確立が高い。
きちんとした階段が最後までついているわけではなく、この最上部へは梯子でよじ登らなければならない。また下からは露台の壁しか見えないので、そこに人がいても見つかりにくいという場所でもある。
子供の頃、実はメンフィスも何度もここに隠れて家臣達を困らせたことがあったが、まさか己の妃までもが(この妙齢な年にもなって)そんな所によじ登り入り浸るとは思っても見なかった。
どう考えても貴婦人が居住まう場所では決してない。
どうやったのか(自分で運んだのだろうが・・その姿はあまり想像したくはないが・・)簡単な敷布にいくつかのクッション、小さな書見台に涼み用の扇子や日除けまで持ち込まれ、ちょっとした秘密基地化している・・・そしてそこについうっかりうたた寝してしまっている妃を見つけた。
このごろキャロルは・・・よく疲れたようにウトウトと眠っていることが多い・・・
寝不足からだとは分かってはいるが、以前に比べ顔色もあまり良くないように見える気がする。
かたわらには沢山の図面に新しい設計図
書きかけの・・・キャロル自身の備忘録らしいパピルスには、彼女だけが使う不思議な筆記文字(アルファベットというものらしい・・)が波打つように綴られている。
また協議の終わった書類の写しなどが手元から滑り落ちたのか、2〜3ほどその胸元に転がっていた。
一体毎日どれほどの量の書面に目を通す事を自らに課しているのか・・・
奥宮殿に閉じ込めてから、キャロルはまるで取り付かれたかのように、日々の政務の書類を追いかけている。
「・・・・・・・」
―――ここから東を眺めると、遠目にだが新都建設の現場が良く望める
(・・・・・・わたしの役に立ちたい・・・・か・・・・。)
「キャロル・・・・おい・・・起きよ・・・朝のうちとはいえ、そのままでは暑さにやられるぞ。」
「ん・・・・え?」
「起きよ。出かけるゆえ支度をいたせ。」
「メ・・メンフィス? 何?きゃっっ!!!」
「全く・・・他のものどもには見せられぬな。」
ヒョイと片腕で妃をかかえそのまま梯子を降りる。
足が宙に浮いたままのキャロル。
不安定さがひどく怖さを増して、ばたつかずにはいられない。
「わ、わ、わ〜っっ メンフィスっ!!!」
「おとなしくしておれ。危ないであろうが」
「お、落ち・・・!!」
「じっとしておれ。暴れるな。」
「・・・落としはせぬ。」
「!」
ぎゅっと力を込めなおされ、併せて優しげな囁きをかけられ、思わずキャロルの胸がドキリとする。
ばたつくことも忘れてピタリと手足が静止した。
「メンフィス・・・」
「・・・・・・・それでよい。しっかりしがみついておれ。」
すとん・・
梯子をおりきり、メンフィスは事も無げにふわりとキャロルの体を平地に下ろした。
「・・・・もう、急に何よ?どうしたの?」
「まいるぞ。」
「え?・・・ど、どこに??」
ぐいっと手首をつかみ、すたすたとメンフィスは先へ行く。
「??????」
少し寝ぼけていたのもあって、なかなか状況がつかめない。
パタン・・
部屋の扉をあけて、中に待っていたのはナフテラと侍女数人。
「さ、キャロル様、こちらをお召しになって下さい。それとこちらも。」
「え???これ・・・」
「はい。」
黒髪の・・・・かつら
「・・・・あの・・・・・メンフィス?」
そろそろと振り返ってみると、メンフィスは既にすっかり『待ち』の体勢で小脇のソファーに腰をかけ、長い足を組んでいるところだった。多少時間がかかることを見越しているようだ。
「急いで支度をいたせ。これから『技師楼』で仕事だ。そなたの任務を説明するゆえ早く着替えよ。」
「『技師楼』?!」
「・・・・そうだ。『王妃』の叡智を有効に活用させてもらう。だがそなたを自由に王宮の外へ出すわけにはいかぬからな。代理に『宰相の孫』を担当にいたす。『その者』も女の身ながら大層優秀な人材らしいゆえ正式に登用することにしたのだ。」
「・・・・・・・・・はぃ?」
「・・・・・・不服か?」
「・・・・・・・・え・・・・・だって・・・・」
「・・・・・」
「・・・・出て・・・いいの?」
「・・・『そなた』を出すわけにはいかぬと申しておろう。だから「宰相の孫」に王妃の意図を伝えさせるのだ。」
「・・・・・・・メンフィス・・・」
「・・・・・・・・・・文句があるなら取りやめる。」
「えっえっ・・・・そ、そんなこと何も言ってないわよ! やります。やるわ!何でも!!」
「・・・・ならば早々に支度をいたせ。」
ばたばたと半分訳が分からず用意された衣装に着替えにかかる。
(技師楼へ・・・・?!)
長い髪をきっちり結い上げ黒髪の鬘をかぶり、久方ぶりのあの姿が鏡に映った。
少し上流な雰囲気の貴族の娘・・・
以前にも思ったが、本当に髪の印象だけで随分と見た目が変わるものだ。
金髪であることがどれほどここで目を引く存在なのかを改めて感じる。
ひょこっ
メンフィスの待つ部屋との仕切りにしていたカーテンの隙間からその変装後の顔をのぞかせると、メンフィスは目をあわせるなり無言で威圧。
(わっ)
思わずまたカーテンの後ろに隠れてしまった。
「なにをしておる。・・・・・準備ができたならはやくこちらへ参れ」
「・・・・な、なんか怒ってるみたいなんだもの・・・」
「それはそうだ。・・・あまり気分の良いことではないからな。」
「・・・じゃぁ、どうして」
「それを説明するゆえ、はやく参れと申しておる。」
手招きされたその場にそろそろと近寄ると、ぐいっと乱暴に手首をつかまれ、同じソファーに・・メンフィスの膝の上に座らせられた。
「きゃっ!」
「しっかり聞くのだ。絶対に間違いがあってはならぬ危険なことゆえ。」
「危険なこと?」
「・・・・そなたにはわたしの耳目となってもらう。」
「え?」
「よいか?初めに申しておくが、そなたの身に何かあればこの国の存亡にかかわる。それを決して忘れてはならぬ。」
「・・・・・え、・・・ええ。」
「『王妃』はこれまでどおり奥宮から外へは出さぬ。それは今後も変えるつもりはない。国内でも対外的にも・・・諸外国の者共にもそのように認識させてゆく。わが国の王妃は奥宮殿から表に出ることはないのだと、・・・それがあたりまえの事として浸透させる。」
「・・・・それで?」
「今後は普段の謁見でもそなたの素顔は見せぬようにしてゆく。特に外国の使者との接見は必要最小限にする予定だ。・・・・・・どうしても必要の場合は列席させるが。・・・その場合も、もちろんそなたの顔は隠す。」
「顔を隠すって・・・・仮面でもかぶるの?」
「ふむ・・・・そうかなるほど。良いな。仮面か・・。では王妃の仮面を謁見用に早速つくらせよう。」
「うそぉ・・・ほ、ほんとにっ|||」
「なんて顔をしておる。・・まことそなたは素直と申すか感情が常に顔から駄々漏れだな。それでは相手を選ばず皆に本音を読み取られてしまうではないか。特に外交はすべて駆け引きなのだぞ。・・・これはやはりこの顔は隠したほうがよいな。その方がかえって大エジプト帝国の王妃らしく威厳が出てよいかもしれぬ。」
「・・・・・・・」
絶句しているキャロルの超至近距離でメンフィスの鋭い瞳が覗き込む。
いたずらっぽくにやりと笑い、さらりとメンフィスの指がキャロルの頬をなぞった
「・・・とにかく、時間をかけてでも今後そなたの顔がどのような顔をしているのかを世間から忘れさせる。今までに既に知られている者どもにはしかたがないが・・新たな接触には極力そなたの素顔は見せぬようにするつもりだ。王宮内でもなるべく顔を覆うベールをつけよ。普段から、召使たちにも、遠目にも分からぬようにな。」
「どうしてそこまで?」
「そなたの安全のためにだ。」
「・・・・・???」
「ナフテラ、イムホテップを呼んで参れ」
「はい。」
「・・・・・メンフィス?」
「そなたを守るためだ。」
「・・・・・・」
「・・・・ずっと大人しく・・・・そなたがこの奥宮から出なければ・・・こんな下手な小細工など労せずともよいのだがな。」
「メンフィス・・・」
「・・・とりあえず、数日『宰相の孫』として城内を動いてみてもらおう。しばらくは試しということで常時イムホテップを同行としてつける。・・・・そなたの側付の者どもにもけどられず動くことができるかどうか。・・・・以前に練習済みではあろうからそのあたりは得意であろう?」
「練習済みって・・・・・・それ」
「どうだ?」
「誰にもけどられずって・・・知ってるのは・・?」
「私とイムホテップ、ナフテラ、それとミヌーエには知らせてある。あとはスサたち老家臣団の数人と、先ほどの侍女だ。緊急の際にそなたの身代わり役ともなれるようナフテラに特に口の堅い者を厳選させた。その他の者には一切気づかれぬように振舞うのだ。」
「その他って・・・・ウナスやルカには?知らせないの?」
「ああ。秘密だ。・・・・・『王妃』直属の親衛隊が急に『臣下の娘』などにつけば悪目立ちするではないか。それに・・・・ルカはともかく・・・ウナスはそなた同様腹芸ができぬやつだからな。そなたが身をやつしている間、そなたに周囲の目が向かぬよう、二人には真剣に『王妃』を守らせる。・・・そうでなければ・・勘の良いものであればすぐに気づかれてしまうだろう。」
「テティも?」
「あたりまえだ。あの手の者が一番口が滑りやすい。・・・そなたも輪をかけて地が出やすいが・・・誰かに変装がばれて・・・失敗して誰かにそなたの面が割れたとなれば、この試みは即中止する。今まで通り私の手の内で王妃らしくおとなしく奥宮殿に戻る事だ。」
「・・・・・・」
「・・・・癪に障るが以前にそなたが勝手に動き回っていた時と基本は同じだ。外堀はこちらで固めるがな・・・・・まずは、手始めに『技師楼』内の士気をあげてもらおうか。それがそなたの最初の任務だ。」
「士気を・・・・あげる?」
「・・・・なにが原因かは知らぬが・・・この数ヶ月、開発提案も作業効率も以前に比べて著しく低下しているとの報告がある。あの施設はもともと設立当初から王妃が一番熱心に力を注いでいた機関だったからな。わが愛しい王妃の意向に報いるためにも尽力してはみぬか?」
「・・・・・・・・・」
「『王妃』からの提案は山ほどあるぞ。・・・それを『そなた』が形にしてみせよ。」
「・・・・・・」
「加えて、下々の者どもの動向を直接その目で見、その耳で聞き、世の動きをつぶさにわたしに伝えてまいれ。ウソ偽りのない誠のわが国の姿を。・・・・・・どうだ?」
「・・・・それが・・・・・貴方の役にたつの?」
「大いに。」
「・・・・」
「そなたの言葉はなによりの真実。その意見は・・・・・万金に値するであろう。」
「・・・・メンフィス」
「条件は・・・・身をやつしている間、誰にもそなたが王妃だということを気取られぬことだ。・・・・・そのためにこれから多くの臣下たちをも欺かねばならぬぞ。加えて王妃の行動も制限せねばならぬ。王妃としての顔を隠すのは外に出るそなたの身を守るためだ。・・・・わたしの役に立ちたいと申したが・・・行動を起こすからには中途半端は許さぬ。・・・・・その覚悟があるか?」
少し切なげに見下ろすメンフィスの瞳
本当は・・こんなことはさせたくない
ずっと側で・・・片時も離さずに守っていたい
できるならずっと王宮の奥深くに・・自分だけの檻に閉じ込めてしまいたい・・・
あふれる富も栄華も・・・わたしの愛さえ自由に欲しいままにできる場所に
・・・・だが そなたは・・・
しばらくの沈黙のあと、キャロルは心に何かを決心したように瞳をこちらに向けた。
「―――――――あなたの力になれるなら・・・やるわ。 」
そうであろうな・・・・
光の中を
風の舞う自由な外の世界を・・・・いつもその青い瞳に追う
宝石箱の中で、じっとおとなしく退屈な幸せにまどろむことをそなたは好まない・・・
「・・・・そうか。」
カチャ
メンフィスはキャロルの首に細い金鎖に通された小さな札をかけた。
王宮勤めの高級女官としての正式な通行証だ。
イムホテップの親族としての身分証明にもなっており、これがあれば事実上堂々とどこでも通行できる
「メンフィス・・・・」
「取り扱いには十分気をつけよ。 王妃でいる時にそれを身につけたままにしていたり、落としたりしてはならぬぞ。王妃が持っていてはおかしな事になるのだからな。」
「わ、わかったわ。」
「本当に分かっているのだろうな?・・・そなたはとにかくそそっかしいからな。・・・・正直わたしは心配でならぬ。」
「・・・・う・・・・」
反論できないでいるキャロルを見下ろして、メンフィスは微かに笑った。
キャロルを抱き寄せ、愛しげに背をしっかりと抱きしめる。
「いつもわたしとともに・・・いるな?」
「・・・・・?」
「いつも・・・いつもわたしの事を考えているな。・・・勝手に消えたりせぬな?・・・そうだなキャロル?・・・約束せよ。わたしのもとからどこへも行かぬと・・・。」
「・・・・メンフィス・・・」
「でなければ・・・・・・・離さぬ! ここから一歩も・・・」
「・・・!」
「どこへも行かせぬ!!」
「メンフィス・・・」
気がつけば・・・メンフィスは震えるほど力をこめてキャロルを抱きしめていた。
「わたし・・・・・・そんなに元気がなさそうだった?」
「!」
「・・・・わたしったら、また・・・貴方にすごく心配かけちゃってたのね。」
「・・・・・・・・」
―――嬉しいのが半分・・ちょっと胸が痛いのが半分。
「・・・わたしのために・・・わたしが沈んでるように見えたから・・・少しでも自由に外を歩けるように・・・・・だから・・こんな手配をしてくれたんでしょう?」
「・・・キャロル」
「でも本当にありがとう。あなたの気持ちがすごく嬉しい・・・全部嬉しい。それから・・心配させて・・ごめんなさい。」
「絶対に・・貴方に黙って出かけたりしないわ。これは必ず約束する。」
メンフィスはキャロルの言葉に目を見開いた。
ぎゅっとしがみついてくるキャロルの両腕・・・
すりよるように頬を自分の胸にうずめてくる。
「必ず約束する。・・・・わたし、あなたが一番大切だから。だから、それ以上の事なんて何も無いのよ。」
「キャロル・・・」
「大好きよ。メンフィス。・・・愛してる。貴方を一番愛してる。」
「・・・・わたしもぞ。」
しばらく二人は抱き合い、何度も唇を合わせ、互いのぬくもりを交し合った。
扉の外では、イムホテップとナフテラが、呼び出されたもののいつ中に入ろうものかと思案しながら、笑ってしばらく立ち往生していた。
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