秘 密




17


イムホテップとキャロルは技師楼を出て、宮殿にむかう回廊をゆっくり歩いていった。
イムホテップの杖の音が規則正しくコツン・・コツン・・と静かに品よく響く。
ほどなく宰相の官邸に到着した。

それまでただ黙って歩みをすすめていたが、執務室でもある自室に入ると、ようやく穏やかな声音でイムホテップが口を開いた。
上座の椅子をキャロルにすすめ、自身も窓際の慣れ親しんだ場所に座し、外の景色をまぶしそうに目を細め話し出した。

「ファラオはのぅ・・・・・『キャロル様』」
「・・・はい?」

イムホテップは「王妃」に話をし始めた。
この場所ではいつも孫娘扱いだったのに・・・
孫娘にではなく。キャロル王妃への言葉遣いで。

「ファラオは・・・・・『キャロル様』に対しては信じられぬほどとても傷つきやすいお心をお持ちなのですよ。いつもは誰よりも冷徹に断行される鋼の意思と行動力をお持ちであられるのに、貴女様の事になるとほんの些細な事でも揺れてしまわれる。・・・・・・こういってはなんじゃが、そんな時のファラオはあきれるほど弱い。・・・まこと野の小さな草花以下じゃ。」
「・・・・・・・」
「それは知っておられるであろうか?」
「・・・・・ええ。・・・・・・多分・・良く知っています」
「貴女様はファラオにとっての唯一最大の弱点じゃ」
「・・・・・・・・」
「この弱点はどうやっても他から補強することは無理でしての。例えばそうですな・・王に油断をさせることなど実は造作も無い・・・キャロル様のくしゃみ1つでいとも簡単にファラオの心に隙ができる。・・・嘘ではありませんぞ。」
「・・・・・・・・確かに・・そう・・かも・・・・・しれません」

「・・・・王は神の化身であられるが・・・心はやはり『人』でもある・・。誰でも弱きところを逆撫でされればそれを守るために必死になる。王はそれこそ必死であられるよ。キャロル様が消えてしまわれればご自身も消滅してしまうとどこかで自覚しておられるがゆえに・・・・・」
「それはわたしだって同じ・・・!」
「いいえ。」

イムホテップはきっぱりと否定した。
キャロルはそんなことはない・・と抗議するかのように目をみはった。
彼はふわりとキャロルに微笑みゆっくりと首をふる。

「・・王妃様にとってはきっと『全ての人』が弱点でいらっしゃる。ある意味ファラオとは対極でしょう。キャロル様はファラオにはそれはもちろんのことですが、名も知らない見知らぬ者にでも本気で涙を流してくださる。メンフィス様を心の底から愛しながら、他の者へも同じ愛情を分け与えることができる。だから・・・皆、貴女様をお慕い申し上げるのです。・・・ですがメンフィス様にとって心を揺らされるのは唯一人キャロル様だけ。―――わたくしが殺されるような時がきたとしても、それほど王が迷われるようなことはありませんでしょう。」
「そ・・・・そんなことはありません・・ きっと・・!」
「ほらごらんなさい・・・貴女様はこんな『例え話』ですらこうしてわたくしの為に真剣に心を動かしてくださっている。」
「・・・・・・・」
「ですが、ファラオにとって真にご自分の心を動かせる相手というのは本当にただ一人キャロル様・・貴女様だけ。・・・・過度な嫉妬心も激情も、己のたった一つの心の支えを守るため。。。 恐らく狂うほどに・・キャロル様の想像を遥かに超えて、唯一「貴女様だけを」愛しておられると思いまするぞ。」
「・・・・・・イムホテップ・・・」
「根本的に他者に対する愛情の絶対値がファラオは普通とは違うのです。例えるならば・・キャロル様が100で他が0というところでしょうな。まことに極端なこと甚だしい。・・・・・だから100の存在であるキャロル様がご自分に気持ちが向いていないと思うと、王はとてつもなく不安でしかたがなくなる。・・知らない事があると本当に怖くなる。」
「・・・・・・・」
「そう考えると、王の行動はみなとても分かりやすいでしょう?」
「・・・・・・はい・・・」

そう。。。。 メンフィス王は王妃の事で不安になるととても危うい・・・・
いても立ってもいられなくなる・・・。
ほんの些細な嫉妬でも感情が振り切れてしまう。
こればかりはどうしようもない。
物に当たるのも、乱暴になるのも、王妃への気持ちがおさえきれなくて暴走してしまうからだ。

メンフィスはキャロルの危機となれば何をも省みず動いてしまう。
国を挙げて戦争まで起こす
どんな無謀な行動も、自分の命にかかわる危険さえ、キャロルの為ならいともたやすく踏み超えてしまう。

われらの王は『そういう王』なのだ。