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秘 密 |

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ぴちゃ・・・ん・・
足元で水しぶきが跳ね上がる
「砂漠の・・オアシス都市・・・・・・・・」
ぽつり・・とキャロルは口に出してつぶやいた。
・・・・砂漠の新都だ・・・。
―――いままでにないほど美しく壮大なオアシス都市ぞ。
誇らしげに次々と夢を形にしていくメンフィス。
自分もその力になることができないだろうか・・・ほんの少しでも・・・あの人のために
そう思って・・・ 足を向けた技師楼
新都ができてもテーベを全て放棄するわけにはいかない。
オアシス都市は完成すれば砂漠の一大中継都市として、国家の庇護を受けた商業地として繁栄すると思うけれど、対するテーベは多くの葬祭殿を擁する宗教都市。
恐らく人々はこの2大都市を行き来することになるはずだ・・・・・。
長く繁栄するためにまず必要なのは「水」。
あの都市はテーベからそう離れていないとはいえナイルの側に隣接しているわけではない。
大都市には、いつでも、どんなときでも潤沢に潤う安定した水源の確保が必要だ。
そして時代が変わっても利用できる強固な水利施設が・・・・・・。
大きな地下水脈は確かにある。
おそらく巨大なナイルの水系に属している水脈なのだろう。
こんこんと沸き出でるオアシスの清水が湖のように新都市の後方に広大に広がっていた。
緑も多い・・・
だけどそれだけで大丈夫だろうか?
オアシスの水源が枯れることはないだろうか?
・・絶対に母なるナイルには敵わない。
新しい都でも、ナイル川そのものの水源をいつでも自由に利用できるようにならないだろうか・・・・・
二つの都市を行き来するならば、その幹線道路に沿う水路も欲しい。
どうしても大規模な水の道が要る。
効率よく・・しかも頑丈で・・・・
でもそれにはどうすれば・・・
「・・・・・とにかく思いつく事はみんなまとめて書き留めておこう・・。」
自分では発展できない案でも誰かのきっかけになる場合もある。
無駄な考えでも数を打てばどれかが何かの参考にはなるかもしれない。
色々考えている反面で
ふと・・また不安がよぎる。
――もしかしたら気づかない内に自分は違う歯車を動かしてしまったのかもしれないと。
だけど・・じっとしているのはもっと辛い
何かしていないと嫌なことばかりが思考に渦巻いてしまうのだ
古代に来てから時を重ねていくほどに
幸せな日々があふれるほどに
(ああもうっ!駄目よ駄目っ。もっと明るく前向きに考えなきゃ!運命は自分で切り開くものなんだから。暗く考えると余計にどんどん落ち込むわ)
ふるふると頭をふって気持ちを切り替える。
「とにかく、日々出来る事を見つけてがんばるのよ!千里の道も一歩からっていうし・・・・・・よしっ」
ふんっと両手こぶしに気合を入れて、景気づけに足先の水をえいっと元気よく跳ね上げる。
ぴしゃん・・っ
ぱしゃんっ・・・・・
「な・・・何をしておる!キャロル」
「きゃっ!!わ・・・わぁっっ!!!」
唐突に後ろから声をかけられキャロルは思わずバランスを崩しそうになった。
「危ない!!」
宮殿の水路の一角
水辺へ続く比較的急な階段状の足場の悪い場所で、水面を覗き込むようにしていたキャロルを見つけ、危うくすべり落ちかけるところをメンフィスが掬い取る。
「ばか者!!何をまた危険なことをしておる!どこにもおらぬので探しに来れば・・・・心配ばかりさせおって!!!!」
「メ、メンフィスが急に大声をかけるからじゃない!こっちもびっくりしちゃって・・・」
「〜〜ええいっっ!ナイルに落ちたらどうするのだ!そなたがまた流されでもしたら・・・」
「・・・ご、ごめんなさい。ちょっと・・・このナイロメーターが見たかっただけなのよ。」
「ナイロメーター?」
「水位計。ほら、これそうなのでしょう?」
「・・・・・増水の時の目安だが・・?」
「実際はどういう仕組みになっているのかと思って・・・階段だし近寄らないとよく見えなかったから。・・・・・現代でも水位計の遺跡は確かにあちこちに残っていたけれどアスワンハイダムの為にもう機能していなかったもの・・・実際の構造や利用状態がよく分からなくて見に来たの。」
「・・・・???」
「・・・ねぇ、メンフィス、この1メモリって増水の時どのくらいの時間で上がっていくの?あん、やだ!ぬれちゃう。」
「・・・・・・・・・・」
苦言もものともせず、そのまま無邪気にすそをよいしょと膝上まで持ち上げて水面を覗き込む。
「!・・・・」
惜しげもなくあらわにされたまぶしいほどの白い脚線にドキリとする
メンフィスは思わず周囲に人がいないかを見回してしまった。
自分だけなら全く構わないが、他の者には絶対に見せたくない姿・・・
キャロルらしいといえばキャロルらしいが・・・このような護衛兵士どもも行き交うような場所で下々の者共のように素足をむき出しにするなどとんでもないことだ。
最初はぬれないように気をつけていたが、もう面倒になったのかえいっと足首までピチャピチャと水際に沈ませている。・・・・水遊びをしている幼い少女と大差がない。
呆れたような溜息を一つつきながら、メンフィスは答えた。
「・・増水時おおよそ一日につき約1段分水面が上昇する。豊作になるかどうかの基準は地上から約6メフ(約3m強)だな。少し上の部分にあるあの長い線だ。上流はここより倍ほど水位があがる。対する渇水の目安はもう一段下の長い線。これを下回ると下流まで増水がいきわたらず、不作となる危険性があることになる。」
すぐ横で指し示される優美な指先に導かれて、キャロルは興味深げにメモリを読む。
後ろを振り仰ぐと背後には包み込むような広いメンフィスの胸があった
「・・・・ということは、このあたりではいつも最低でもここまで水位があがるのね。」
「そうだ。それでも4メフ(2m強)はある。そなたが今いる場所ではすっかり沈んでしまうぞ。」
「きゃぁっ!!」
「・・・・・・はねっかえりが・・。それで・・・何をたくらんでおるのだ?」
メモリを覗き込んでいた体がふわっと宙に浮く。
腰と膝を捕らえられ、縦に座るように抱き上げられた。
バランスをとろうとしてメンフィスの両肩に手を置き見下ろすような形になる。
「え?・・・何って?」
「このごろやたらと探すのに苦労する。そなたの居場所が毎日変わるからな。」
「そ、そうだったかしら・・」
キャロルを抱き上げたまま階段を登り、水際を離れ奥宮殿の方へ向かいだす。
自分を見上げる美しい視線がキラリと色を変えた。
「・・・何事ぞ?」
「えっと・・・・・・」
思わずあらぬ方向を向いたのが、何かをしている証拠になってしまった。
彼にごまかしの効かないことは百も承知だが・・・
キャロルはチロっと流し目を向けて様子を伺う。
メンフィスは無言で見つめ返し答えを待った。
「・・・・あの・・・・もう少しあとでじゃダメ?」
「ん?」
「今はまだ・・・・言いたくないの。」
「なんだと?隠し事か?このわたしに!」
「うふふふっ。そう。」
「キャロル!」
苛立ちを見せたメンフィスの首筋にキャロルはきゅっと抱きついた。
そうするとメンフィスが黙ってくれるのを知っているから。
「・・・・・・・・・・」
メンフィスが好き
大好き・・・・
こうしていられる時間がとても好き。
抱きしめてくれる腕がとても温かくて大好き。
ずっとずっとこんな時間を過ごしていたい。
いつまでも・・ずっと穏やかな平和な時を・・・・
わたし・・・
貴方の為にできるだけのことがしたい
あなたの力になりたい・・
どんな小さなことでもいいから役に立ちたい
「メンフィス・・」
「・・・・・」
体が締め付けられていく
力強い腕・・・・・
そう・・身動きできないほどに
互いに擦れ合う頬
そのすべらかさを存分に確かめてメンフィスは立ち止まり改めて妃の顔を覗き込んだ。
抱き上げていた体をそっと地上に降ろしてやってそのまま包み込むようにまた抱きしめる。
つややかな手触りの黄金の髪をなぜながら
「キャロル・・・・」
あまりに幸せそうなキャロルの微笑みに、瞳が溶けるほど見入ってしまう
何かを確かに言おうとしたのに、何を言いたかったのか忘れてしまうのだ。
気がつけば妃の名しか口に出来ない。
「キャロル・・・」
「・・ちゃんと・・・あとできちんと相談するから。それに・・実はまだ自分でも何をどうしたらいいかよくわかってないの。なんていうか・・・イメージだけでいろいろまだ考えがまとまらなくて。」
「・・・・・・・・・・・・」
「ね。」
「・・・・・・・・・危険な事はしてはならぬぞ。特に水辺は一人で近づいてはならぬ・・・・もしもまたそなたがナイルに消えたらなんとする・・・・」
「そんな大げさな・・・心配性ね。宮殿からは勝手に出ないし・・どこにも行かないわよ。」
「馬鹿者!大げさではない!!・・・そなたにはあまりに『前科』がありすぎるゆえ。」
「(うっ・・・・そ・・・それはそうなんだけど・・)・・・・・・・・・本当に大丈夫だってば。」
出来ることならあやふやな計画を思いつきのように言い出したくない。
彼は「King」だ。大計を決断するのが役目であって、些事末梢に振り回されるべきではない。
それに・・自分は未来の人間だから・・・先頭に立って影響するのは・・・・・・・・・・・。
(・・・とはいえ・・もうかなり・・・関わってしまっているから“自己満足”としかいいようがないけど・・)
直接自分からメンフィスに何かを提案するのは歴史の何かを壊してしまうかもしれない。
でも、そんな理由は古代に生きるメンフィスには「わからない」から説明しようがない。
―――だから無理やりにでも「内緒」にしてごまかしている。
頭上の鋭いメンフィスの視線に内心焦りながらも精一杯両頬を吊り上げてみせる。
にっこり自称「極上の微笑み」
本人の思い込み「最上級の笑顔」。向けられた側のメンフィスは心の中で小さくため息をついた。・・・・・悪くはないが作為的なのは大いに見え見えだというに。
自分を見上げてくる王妃の“必死さ”にしかたなく一旦矛を引いた。
メンフィスがキャロルを見透かして「諾」としたにしても、見た目の結果はキャロルがメンフィスを制したことになる。この作り笑顔に対しメンフィスがある程度包容力を発揮してキャロルに譲歩する場面が多くなっているためか、キャロルはこれを「かなり効力があるもの」とどこか勘違いしているらしい。
『分かった』と言ってやった後の、キャロルが『今』浮かべている“本当”の笑顔とは雲泥の差なのだが。
(全く・・・・どこが大丈夫なものか・・・・こやつめ・・)
この“嬉しそうな”顔・・勝手にひとりで動き回っていることは確実だ。
何か起こってからでは遅い。無邪気も度を越すと思わぬ騒動となってしまう。
・・・そなたは嫌がるだろうが身辺警護を増やさせてもらうぞキャロル。
私に黙って事をおこそうとするそなたが悪いのだ。
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