秘 密




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「お・じ・い・さ・ま♪」
「・・・・・・おお、いかがされましたか?姫。」
「――― う〜ん・・ ねぇ、もうちょっと「くだけて」接してくれないとそれは 『家族』 として 『変』だわ」
「落第ですかの?」
「ええ。 『大根』 ね。」
「 『演技』 は元来苦手な性質(たち)でしてのぅ」

ふっふっふっと笑い、そんな冗談をさらっと言う。
各国との交渉においては右に出るものがいないという百戦錬磨の「エジプトの知恵」
トレードマークの長く見事な白髭を優雅に撫ぜる。

大エジプト帝国 宰相イムホテップ。

一見温和な微笑みに惑わされるのだが、諸外国の外交官が口をそろえて彼の流麗な語学力と、それを駆使した貿易交渉術の辣腕ぶりに舌を巻くという。
毎年行き来する各国からの何隻もの大型ガレー船でのエジプトへの貢物の量を見れば、それは押して知るべしであろう。
老いても尚その力量と存在感は健在であり、エジプトの富と繁栄を支える一翼を彼は担っている。


「誰もいないからって油断は禁物よ! イムホテップ。」
「それは姫君も同じでございましょうて。」

くつくつと彼はあくまで静かに微笑んだ。

「ね、それはそうと、イムホテップ、またちょっと相談が・・」
「おまちを姫。・・そろそろ王が視察現場からお帰りの時刻じゃ。先にお召し換えをすまされよ。御用ならばその後に伺いましょう。できれば少しは着飾って『爺』の心労を少しでも減らしていただけるとありがたい。」
「まぁっ」

“了解” とにっこり笑ってあわただしく隣室へ消えていく。
ほどなくして、ぱたんと小気味よい扉の音がして、ひょっこりと少女が顔を覗かせた。

金色の髪、ベールをとった奥から現れた奇跡の聖碧眼。

先ほどの黒髪少女はどこへやら・・。 輝くばかりにその容貌は豹変した。
エジプトの至宝そのものとうたわれる黄金の姫、『ナイルの王妃』に。

そのまま凛としてじっとしていれば間違いなく『高貴なる王妃』として通るのに・・なのに、わざわざ茶目っ気たっぷりにすそを綺麗にひるがえして、その場でくるりと1回転してみせるあたりが彼女の可愛らしい人柄といえよう。
さらに両すそをかるく左右に持ち上げ、絵本のお姫様がとるような典型的なポーズをとってみせる。

「どう?いつもより着飾ってみたけれど♪お気に召していただけるかしら?『おじいさま』。」
「うむうむ・・お似合いじゃ(^_^) 『孫にも衣装』ともいいますからな。『爺』は涙が出るほど満足ですぞ。」

(・・・・・・・・え・・えっと・・)

冗談だったのか・・本気だったのか・・ 笑うべきなのか・・ 
微妙にまじめに言われて戸惑った。
お陰で思わず返す言葉につまってしまい、唖然としてキャロルは口をぱくつかせてしまった。

「・・・・そ、それは良かったわ・・・・・。(^_^;)」
「恐れ入りまする。・・・・・・で、ご相談とは如何なる事にございましょうや?」

気を取り直してキャロルは息を整える。
きらりと青い瞳が輝いて居住まいをただし、まっすぐに正面を見上げた。

(――ふむ・・・ いつもながら、誠によい『眼』をなさる。)

「あの・・・ 今度は青銅の加工が得意な技師を紹介して欲しいの。」
「ほう・・青銅を?」
「銅管をいろんな太さで作ってもらうことになりそうだから。あ、そうそう漆喰も必要ね。」
「・・・・今度の実験は先日の水路の件と何か関係がおありかな?」
「そうね。確かに関係なくはないけど・・・でも残念ながらこれは実益にはちょっと係わりはなさそうね。・・・無駄な研究になるかもしれないけど、やってみたいの。」

理論上はなんとかなるはずなのよね・・と言いながら、がさがさとキャロルは書類の束から図面を取り出してイムホテップへ渡した。
先ほど図書館で青年とやりとりしていた設計図

「実際につくる事が可能なら・・・他の何かの応用でもいいんだけど・・・いつか新都に・・・メンフィスの都に使えたらって思うの。」

「・・・・・何名か・・こういうことが好きそうな職人肌な者たちを募りましょう。」

ざっと書類を繰り、綿密に計算され設計された図面を見渡して、軽く目を見張り、そしてゆっくりと彼は微笑んだ。

目の前には理知の光がともった凛とした少女の瞳

初めて対面した時にも思ったが、彼は王妃のその澄んだ冴え渡るまなざしを見るのが好きだった。
あの技師楼にもぐりこんでからというもの、王妃は水を得た魚のように毎日きらきらと目を輝かせて驚くほどの速度で知識を吸収している。
いや・・・・、眠り埋もれていた『英知』を掘り起こし、驚くほどの成果として明確な形に具現化していると言った方が正しいか。
・・・そして知らず知らずのうち、その姿に目を細める自分がいる。

王妃に頼まれて始めた「祖父と孫娘」としての時間。
メンフィス王が工事現場の視察などで半日ほど宮殿を離れる時間に、王妃が見聞を広めたいと言って、諸外国を歴訪した時の事などを聞きに自分の下に通いだしたのが始まりだ。

『おじいさま』という響きも最初は耳に慣れなかったが、一ヶ月もすれば板についてきて、今ではあまり違和感を感じる事もなくなってきた。

生涯一人身の人生を決めていた。

先王に、そして現王に全てをささげることを誓った過去。
イムホテップに本当の意味での身内はいない。
だが先王・現王を幼少の頃から見守りつづけてきた為か、家族は無くとも、家族と同等に王家一族への親近感があることは否めない。

(孫がかわいくてならぬという老人の心境とは・・・こういうものなのであろうかの。)

彼にとって、現王のメンフィスはかけがえのない無二の王であり、守るべき『孫』でもあった。
そしてその妃のキャロルは、王族には誠に稀有な存在。
神秘な生まれの神の娘だからということだけではない。
恐れも媚も無く、誰に対しても真っ直ぐに信頼と愛情を投げてくる。
そう、誰もが一線を引いてしまう老宰相たる自分に対しても、彼女の親愛の情と物怖じのない素直な対応は、何も変わることはなかった。
それに、彼女のことはこの国に現れいでたほんの少女の頃から、ずっとその成長を見守ってきている。
メンフィス王と出会い、時に衝突し、愛をはぐくみ・・・・・・

本当に・・・今ではメンフィス王同様、キャロル王妃も本当の孫のようであり、心底愛らしいのだ。

一生懸命な姿で慕われるとついつい彼女のために甘くも老骨を折ってしまう。

イムホテップがこんなに穏やかに茶をすすりながら楽しげに笑うなど、昔日をしりつくしている官僚たちに言わせれば「こんな光景を見ることになるとは思いもしなかった」と口をそろえて語るだろう。

難物・強面(こわもて)だった老賢者が心を許した珍しい相手としても、本当に彼女はエジプトにおいて非常に貴重な存在であった。

「早速明日にでも、鍛治師達の所へ書簡を送りましょう。」
「ありがとう。本当に助かるわ。」
「ですが技術屋は大体において癖のある者たちが多い。こちらで人材の厳選はいたしますがくれぐれもお気をつけを。すぐに打ち解けるような学生共とは勝手が違いますぞ。それと、とりあえず鍛治師たちとお会いいただくのは、暫くはこの邸内でということで。見定めがつくまでは安全の為に。…宜しいですな。」
「ええ分かったわ。 イムホテップ 大好きよ♪(だきつきっ)」
「おやおや。そのお言葉が王のお耳にでもはいったらこの老体の命がございませぬ。どうぞお控えを。」
「まぁっ (くすくす) 大丈夫よ。これは『お爺様』へのご挨拶。 じゃあ、『お任せします』。」
「畏まりました。 さて、表に迎えも来たようじゃ。『キャロル様』、そろそろ宮殿へ戻りましょうか。」

宰相イムホテップの官邸は王宮と隣接している。
宮殿内の一角にその敷地があるといった方がいい。

敷地を出ると王妃付の護衛兵や侍女が出迎える。


こうして『王妃』と『宰相』が並んで王宮へ向かうのだが、その姿はごく普通の当たり前な日常風景だった。