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ギャロップ
「馬に乗りたいだと?」
午前中の協議の終わったメンフィスにキャロルのおねだりが伝えられた。
「ならば・・・、昼食後、東の工事現場まで出かけるが、いっしょについて参れ。」
意味するところは、単純に自分とともに遠駆けをしたいのだろうと解釈したメンフィスは、上機嫌でキャロルに答えた。
「そうだな。宮殿の中ばかりでは息も詰まろう。そなた、そういう願いなら早く申せ。いつでも連れて行ってやる」
めったに見られないキャロルの甘えに相好を崩し、早くも午後の予定を臣下に申し伝える。
恐らく色々とキャロルの面白がりそうな処へ立ち寄ってやろうと、既にあれこれ思い描いているのだろう。キャロルが自分の腕の中で喜びまわる姿を想像しているのか、メンフィスの機嫌の良いことはこの上ない。
「・・それもいいんだけど・・・・・・そうじゃなくて、乗馬を習いたいの。私」
かわいらしく小首をかしげ、見上げてくる青い瞳は、いたずらっぽく光っている。
「! 乗馬だと?・・・そなたが・・か?」
「ええ。・・・・ねぇ、いいでしょ?メンフィス」
不意をつかれて、言葉を失う。
(何を考えているのか、こやつ・・・)
キャロルの言動に驚かされることはしばしばだが、今回も思ってもみないことを言い出したので、少し眉間にしわを寄せ妃をにらみつけた。
いやな予感がメンフィスに走る・・・
「・・・・・わたしの腕の中では不足だというのか?!」
「?!え? メンフィス?」
「そなたの行きたい所へなら、私がどこへでも連れて行ってやる。今度はまた何をたくらんでいる?私の目を盗んで勝手にうろちょろするつもりなのであろう?許さぬぞ!」
以前黒髪の鬘をつけ宮殿を抜け出していた前科があるだけに、メンフィスの心配ははかりしれない・・・。一歩間違えれば、大事になっていた事件だ。
(ただでさえフラフラと消えてしまうくせに。馬など与えたらどうなることか・・・・)
そんなメンフィスの穏やかならぬ様子を見て、どうやら望みをあきらめたのか、キャロルはそれ以上わがままをいって、メンフィスを困らせるようなことはしなかった。
『しかたがないわね・・』と残念そうにため息をついて肩を落とすのみ。
ところが最愛の妃のそのがっかりした姿ほど、これまたメンフィスの心を痛めるものはなかったのだ。
かえって胸の内を深くえぐられるような心苦しさに苛まれてしまう。
キャロルの顔を見つめながら、押し寄せる罪悪感からメンフィスは思わずつい口走ってしまった。
「・・・・・・ふんっ・・・・・まぁ・・・・よかろう・・・。城内に限ってなら・・構わぬ。・・」
そう言ってしまってから、メンフィスはその後の態度をつくりあぐね、あらぬ方向を向き自分の長い黒髪をかきあげる。
(まったく・・我ながら支離滅裂だ・・・)
一瞬の沈黙の後、キャロルの瞳が大きく見開かれ、食い入るようにメンフィスの顔を見つめてきた。
「・・いいの?・・・ほんとう?!」
「構わぬと申しておる!!」
ほとんどやけくそな口調だ。
眼を輝かせて子犬のようにキャロルはメンフィスに飛びつき、嬉しそうに身を摺り寄せる。
キャロルの喜びが体中から噴き出しているのが手に取るように分かる。
メンフィスはうわずる気持ちを押さえ、出来る限り声を怖く落とした。
「・・・・その身に怪我などしたら・・許さぬぞ!」
「ええ!」
「本当にわかっておるのかっ?!」
「分かってるわっ!」
「このはねっかえりめ!今後決して勝手に宮殿から抜け出さぬと約束せよ!よいかっ!」
「ええ!約束するっ!大好きっ 大好きよっ メンフィス!」
キャロルは華奢な腕を精一杯のばし、背の高いメンフィスの首に絡み付け、その頬にキスをしてきた。
どんなに片意地を張っても、こんなキャロルの愛らしさにかかればイチコロにされてしまう。そんな自分に苦笑せざるを得ない。
「ふ・・そなたには敵わぬわ・・・」
見る間にメンフィスの体中、甘いキャロルの香りに包まれ、それまで襲っていた胸のつかえが、なんともいえない満足感へすり替わっていった。
いとしい身体にやさしく腕をまわし、抱きしめる。
確かにこの腕の中にあるのだ。かけがえのない・・ただ一人の愛する者が・・・。
そして、確かにその者も、まぎれもなく自分を愛してやまないことも・・・。
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「・・ねえ、メンフィス・・・・いままで、エジプトから連れ去られたとき、私、いつも自分で逃げ切ることができなかったでしょ・・・・みんなに助けられてばかりで・・・自分の力のなさに悔しくて・・・・・だからせめて、どんなときでも貴方のもとに走り帰れるだけのことはしたいの。・・・ましてこれから先、何がおこるかわからない・・・・。貴方は自由に世界中を駆け抜けていってしまう人だもの・・・・・・どこまでもついて行きたいの・・・・だから・・・・」
その日の午後、工事現場を見回りゆく間、キャロルはメンフィスの馬上に揺られながらポツリとその広い胸につぶやいた。
メンフィスは驚いて目を見張った。
(・・・・・・おいていかないで・・)
そんなキャロル言葉が心の内に無言のうちに響き渡る。
―――ここ数ヶ月、近隣諸国の動向が騒がしい。
メンフィス自身、いざとなれば現地まで赴かなければならない。それは、王としてあたりまえの義務だ。
もちろん、危険がなければ問題はないが、それがいざ戦場となればキャロルを側につれてゆくわけには行かない。断じてメンフィス自身がそれを許さないだろう。
離れ離れにならないと今は決して言いきれない。
悲しいかな、それが現実だ。
断ち切られまいと、すがりつきたい一心で、この不安を取り去る何かをキャロルは必死で探しているのだ。
「だから・・馬に乗れるようにないたいと・・・・・?」
「少なくとも、自分で走るより速くはしれるわ。それに、人に乗せてもらってはしるのって、メンフィス以外は絶対いや。」
はっきりと言い放ち、そのあと、恥ずかしかったのか顔を上げてはこなかった。
「・・・・・ならば・・私が教えてやろう。・・・誰の手にも、大切なそなたを触れさせたくはない・・・。」
たずなを引き、馬のわき腹を蹴る。
勢いよく飛び出したメンフィスは慌てるキャロルをしっかり抱きとめ、そのまま更にスピードを上げた。
(そなたがいればどこまででも行ける・・・たとえそれが地獄の底であろうと・・・)
しがみつくキャロルを力いっぱいその胸に掻き抱く。
砂塵の舞い上がる中、キャロルの黄金の髪が風をうけメンフィスの首筋に光の波のように降り注いだ。
「放しはせぬ!決してそなたを放すようなことはせぬ!」
何度も、何度も、繰り返す。
愛しい者への永遠の誓いの言葉を・・・・
力強いメンフィスの腕に捕らえられたまま、キャロルは涙ぐんでいた。
弱い自分。この人に守られなければ生きてゆけない自分。
それを無条件に受け入れるこのやさしい人・・・。
(貴方を守れる力が欲しい・・・せめてほんの少しだけでも・・・)
たがいの腕を鎖のようにからめ、大いなる何かに二人は切なる願いを祈る。
何者にも二人の間を引き裂くことが出来ぬよう・・・。
永遠にこの愛しい者の側にいられることを・・・・。
Fin.
2001年 「ししぃの館」投稿作品
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