chapter 4
〜王妃の宴〜
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両手一杯に摘んできた庭の花を色とりどりの花瓶に飾り付け、そして部屋中に配置をする王妃キャロル。
いつになく浮かれた様子で足取りもどことなく宙を浮いているような状態だ。
口ずさむのは耳慣れないメロディー。
時折だが、キャロルは他の者がきいたこともないような異国の言葉を透き通る声に織り交ぜながらそれは楽しそうに歌う。
神の国の言葉だろうか・・・・・?
意味合いはまったく分からなくても、不思議と耳障りにはならない。
むしろそれは、神秘的で空気に溶け込むような優しさに満ちていた。
その日のキャロルの宮殿の大広間は、朝方からキャロルの指示でなにやら妙に騒がしかった。
大量のテーブル・ありったけの椅子からクッションまで所狭しと配置され、なかでも奥宮殿の厨房はこれまたキャロルの指示でこちらは前日から大量の料理を作るよう仕込みの手配がなされ、今目の回るような準備に追われている。
「おーい・・お姫さまよ〜〜」
「まぁ!ハサン!待っていたのよ!」
バルコニーの下から、遠慮もなく親しげに王妃に声をかけるのは旅商人ハサン。
口は悪いが、今や彼はエジプト奥宮のおかかえ商人。
特にキャロルからの信頼は絶大で、なにかと御用達の役目を担い、こうしてちょくちょく宮殿まで出向いているのだ。もちろん、城門は完全に『顔パス』。
キャロルはバルコニーから身を乗り出して、嬉しそうに彼に手を振った。
ハサンにしてみれば、実はこれが全ての代金にも匹敵する。
「ね、どうだった?なんとかなりそう?」
「ばっちりだぜ。俺の手配は完璧さぁな。夕方までにはなんとかなるぜ。」
「ほんと?」
「それとよ、頼まれてたこの荷物、どこに運べばいいんだい?」
ハサンは自分の後ろを指差して、ロバに引かせた何台もの荷車を振り返った。どっさりと積み込んである荷物を見て、キャロルは思わず目を剥いた。
「えええっ!!そ、そんなに大荷物になっちゃったの???」
「おうよ。いわれた量だけ用意してきたんだぜ?そりゃカサも増えるわな。」
「わ、わかったわ。とりあえず人をそっちに回すから。奥まで運び込んでくれる?」
どんどんと指定された庭先にハサンの持ち込んだ荷物が山となっていく。
それはどれも包まれていて中身が何なのか見えない。
「一体なんなのですか?あれは・・キャロル様?」
「ふふ・・・内緒。」
ナフテラはキャロルに尋ねるが、そっけなくかわされてしまう。
ほかのものが不審がってそれを探ろうとしようものなら、たちどころに注意が飛ぶ。
絶対に中身を見てはいけないと。
「ハサン、聞かれても言っちゃダメよ。」
「はいはい。・・でもよ、今日は一体何なんだい?この場所で宴会たぁ内輪なものなんだろうけどよ?」
・・・そう、普通なら王宮の宴会は表の宮殿の大広間で行われるのが常だ。
しかも、どうやら真っ昼間から開始されるようなこの騒がしさ・・・
周囲を興味深そうに見回しながらハサンは首をかしげた。
そろそろ出来上がった料理が次々にテーブルに運ばれ始めている。
「お姫さまの主催の宴ねぇ・・・。でもなぁ・・確か今エジプトには異国からのお客人もなかったはずだし・・・」
「ハサンも出席してね。」
「はぁっ?」
無邪気な笑顔で軽く言葉が繰り出されたものだから、最初何を言われたのかハサンはよく意味を理解できなかった。繰り返して頭の中で先ほどの言葉を反芻し、瞬間、額に縦線がはう。
「お、お、お・・・・・おれがっっ????!!!」
「ええ。どうせ夕方までこっちにいなきゃならないのでしょう?なら是非♪」
「な、なにを言ってんですかっ!!お姫さま、俺ぁそんな柄じゃぁねぇし、お貴族さんとは身分が違うんでさぁ。出席なんざとっ・・とんでもねぇ!!!」
「あら、ウナスやルカも一緒なのよ。」
「あのですね・・・・・・」
ちょっとまってくれ・・・・・
俺は所詮只人で(しかも外国人だし)、彼ら王宮仕えの人間とは違う。
とことん無邪気で常識はずれなお姫さまに説明する言葉を捜しながら、しかし何をいっても効き目のなさそうなことも今までの経験上(?)容易に予想できるため、よけいに脱力感が襲う。
「お昼ごはん、もちろんまだなんでしょう?たくさんお料理を準備させているから、遠慮なく食べていってね。集まるのはほとんど侍女たちばかりだから、お酒はあまり多くは用意してないけれど。でも本当はもっと他にも呼びたかったのよね・・・」
「侍女?????・・・・・また『他』って・・なんなんです・・・・・?」
「下働きのみんなから、外でいつも警備をしてくれている兵士達もって言ったら、メンフィスに怒られちゃって・・・」
「・・・するってぇと・・なんですかい?まさか賓客相手でなく、この奥宮殿の人員全員で宴会をしようなんて・・」
「ええ。そうよ。」
これまた軽〜く返答されて、もうハサンは声もでない。
本当にいいのか?そんなことをして・・・・???
―――いや、既にファラオに相談しているんだからもう(むりやり)許可済みなんだろう。
でなければ、俺にこんな豪勢な注文もこなかったわけだし・・・・・。
ハサンはなんとなく今になって、キャロルからの今回の依頼の舞台裏がうっすらと見えた気がした。
恐らく、その情景はそれほど的をはずしてはいないだろう。
やれやれ・・相談されたメンフィス王もさぞかし驚かされっぱなしだったことだろう。
・・・それとも、この無邪気な可愛らしさを喜んだか――――
「さすがにそんなに大勢だと、ここにも集まりきらないし・・・・・仕方がないから、呼べない人にはそれぞれ別にお料理を振舞うことにしたの。だから、ここでの今からのパーティは実質女の子たちのお茶会ね。」
「パ・・・ティ・・??」
「パーティ。・・・・ええっと・・『宴』のことよ。わたしの生まれた国の言葉でね。・・もしも『身分』なんてことに気が引けるなら、彼女たちを相手に商売をしてくれてもいいわよ。 ね。」
小さくウインクをしてキャロルはとまどうハサンを悪戯っぽく覗き込む。
こんなことを思いつくお姫さまもお姫さまだが、それを本当にやってのけてしまうのだからやはり彼女は只者ではない。
人の気持ちを掴み取ることに関しては無敵の・・・天性の素質の持ち主だ。
特に意識せずとも、その行為が発想が、その笑顔が・・どんな者たちをも魅了してしまう。
かく言う自分もその魅了された一人じゃないか。
少しばかり肩をすくめてキャロルの申し出にどうしようかと腕を組む。
「・・・そりゃぁ、侍女さんらは皆上得意さんだけどよ。」
侍女とはいえ、彼女らは元々由緒正しいお家柄の令嬢たち。
特にキャロルの周囲に仕える者となると、奥宮殿の超選抜メンバーだ。厳選されているだけに身元のしっかりした上流貴族からの出身がほとんどである。
表立って目立ちはしないが、実は個人的に装飾品やら高価な香水・布地などを結構羽振りよく購入してくれているのだ。
「どうするのハサン?ここの侍女が一挙に集まるのよ。宝の山をみすみす見逃して帰る?」
「いってくれるねぇ・・・・」
美味しすぎる交渉に、ハサンは舌を巻く。
『商売』という名の招待状か・・・。
苦笑いをしながら彼はとうとうキャロルに降参した。
どうやら聞いていると、キャロル王妃とメンフィス王に仕える奥宮殿の侍女たちが本当に皆勢揃いするらしい。
彼女らの今日の仕事は午前中までとされ、あとはこの広間に集まるよう伝達されているようだ。
侍女たちにしても、こんなことは前例のないこと。
詳しいことはハサン以上に何も聞かされておらず、午後から何がどうなるのだろう・・・と、皆どことなく落ち着かない様子だ。
そうこうしている間に、太陽は中天にかかる。
厨房で作り上げられた大量の豪華な料理をキャロルから指示されたとおり運びこみながら、彼女たちはそわそわと広間に集まりだした。
キャロルが広間中央奥の上段で軽く手をたたき皆の注目を集める。
「さあ、でははじめましょうか。今日はあなたたちの為の宴よ。みんな、それぞれ好きな飲み物を注いで頂戴。まずは乾杯ね。」
「え?」
「わ、私達のための宴?」
ざわざわと驚愕の声が広まってゆく。互いに顔をみあわせる侍女たち。
「そうよ。これはわたしからみんなへの感謝の気持ち。いつも陰日なたと働いてくれてありがとう。こんな形でしかお礼ができないけれど・・・・・どうか心ゆくまで大いに楽しんでちょうだい。」
高々と飲み物の入ったカップをかざし、キャロルはにっこりと笑う。
「おまつりや宴の時でも、あなたたちは裏方でずっと仕事をしてくれているでしょう?たまにはこういう日があってもいいじゃない。遠慮なくくつろいで頂戴ね。お料理も飲み物も沢山用意したから、存分に自由に食べていってね。もちろん無礼講よ。お互い仕事も立場も抜き。さ、早くみんなカップを持って。」
侍女たちはみなそろって目を剥いた。
キャロル王妃の言葉にどう対応して良いか、咄嗟にはわからなくて。
神とも仰ぐ大エジプト王国の王妃が、自分たちの為に宴をひらく???
そんなことがあってもよいのだろうか??
何かの間違いではないかと思っているところへ、屋外からもざわめきが聞こえ出してきた。
なんと自分たちの他にも、老若男女召使いから、護衛の兵士達、下働きのものまで、各所厨房で用意された料理がそれぞれへ運ばれ配られているようだ。
昼を過ぎたと同時に、宮殿中で、あちらこちらから驚きと歓声の声があがっていた。
「折角のお料理がさめてしまうわ。美味しいうちにいただきましょう。ねぇ、みんな準備はいい?」
「はいはい。ほら、みんなはやく飲み物を注いで注いで!王妃様をお待たせするつもり?」
侍女の若頭なテティを筆頭にキャロルの側仕えの侍女たちが軽快に世話役に走り回る。
一応、彼女らキャロルの側仕え数人については、今日の趣旨を把握していた。
そりゃぁ、最初聞かされたときは驚く以外のなにものでもなかったが・・・・。
「こんなことをしてくださる王妃さまは、このエジプト以外にはなくってよ。みんな、あんまり遠慮するとかえって失礼よ。ここは王妃様のご好意に甘えましょう。」
元気良く先頭にたって、戸惑う他の侍女たちに杯を配ってまわる。
本当は絶対にありえないことなのだが・・・この風変わりな王妃のもとならありえるのかもしれない。
いつも身近にその人柄に触れているだけ、彼女らの納得も早かった。
中には王妃みずからの手で飲み物を注がれたものもいた。
これにはさすがに側近侍女たちも度肝をぬく。
注がれた方は蒼白昏倒直前だ。
「お、お、お、・・・お止めください!! そんな!も、もったいない!!」
「キャロル様、それはわたくしがいたします!!!」
テティが叫んでキャロルの手から飲み物の壺を奪い取った。
「あら。今日は無礼講っていってるじゃない。同じ女の子同士なんだから気楽にしてよ。」
「そ、それはもうありがたいほどわかっております。姫さま、そういうことならあちらの女官長様に・・・」
「あ!そうね。ありがとう。」
うきうきとその場を遠ざかる王妃を見送り胸をなでおろす。
こんな下働きのようなことをさせている姿をもし王に見られでもしたら・・・・・・
(い、いらしてないわよね。)
(は、はいっ!!大丈夫です〜〜っっ)
(は〜っ よかった〜〜っっ 姫さまも時々恐ろしいことをなさるわ〜〜)
(お気持ちはわかるけど、みつかったらお手打ちものなのよ〜〜っっ )
その相手がナフテラ女官長なら、まだ許されるだろう。
矛先を変えられた方には申し訳ないが・・・・
案の定、規律に厳しいナフテラがおろおろと慌てふためいている。
「キャロル様、あの・・あの・・・そんな!!!!」
気の毒なほど恐縮しているナフテラにおかまいなくキャロルは飲み物を手ずから注ぎいれている。
被害にあわないよう急ぎあわてて侍女たちは一致団結して互いに互いの杯に注ぎまわり、キャロルが次の相手を探し出そうとしたときには、すっかり杯の用意がいきわたっていた。
「さ、姫様。準備はいいですわ」
「じゃぁ、・・・・・みなの健康と幸せを祈って。」
こうしてキャロルの可愛らしい乾杯の音頭とともに、華やかな『侍女たちのパーティ』は開始された。
