chapter 12
〜 怪我の功名 〜
喉が渇いたわ・・・・・
ゆらりと目を開くと、静かな日差しが紗に揺れている。
お昼前?それとも午後?
寝ぼけまなこなまま視線をめぐらすと部屋には誰もいないようだ。
「・・・・・・・」
静かだわ・・
小鳥の声と水音が聞こえる
そうだった・・ここは下エジプト
帰ってきたんだったわ私・・・・
びりり・・・・っ
「いた・・・っ」
左足の裏が痺れて引きつった。
どこでうけたのか全然覚えていないのだけど・・・
トロイにいた時どこかで負ったこの火傷。
治りかけで痛みも引いてきていたからもう大丈夫かと思っていたのに・・
「・・船でメンフィスの足を踏んづけたバチが当たったのかしら?」
帰国してからも調子に乗って歩き回っていたせいで、治りかけの薄い皮膚がめくれてしまった。
サソリ事件の時に走ったのも良くなかった。
そうっと体を起こして左足を動かしてみる。
「〜〜〜つぅ 痛ぁ〜ぃ・・・」
左足の裏がひりひりと傷む。
やわらかく包帯をまいてあるが、歩くのはちょっと今は無理だろう。
向こうの部屋の小卓に水差しが置いてあるが、広い部屋の隅。
寝台から手を伸ばしては届かない。
「う〜ん・・」
手元に置かれた呼び鈴を鳴らせば、すぐ誰かが来てくれる事は分かっているけれど・・
このまま静かに休んでいたい気もするし、ほんのささいな事で人を呼び出すのも煩わしい。
めずらしく一人きりなのだし・・・
「・・・・・よいしょっ・・・と」
たっぷりと広がる柔らかな長いすそをたくし上げ、そっと裸足の右足で寝台から下りた。
片足でけんけんをしながら・・と思ったが結構振動だけで左足に引きつる痛みが走る。
「そうだわ!」
両膝を床につき、両方の足の裏をあげたまま、膝だけでちょこちょこと前進。
速度は無いが (・・・・というか、見た目に少々間抜けな歩みだが・・)これならあまり痛みも響かないし、かなり快適に(?)移動可能だ。
「うふっ♪到〜着〜」
お目当ての水差しを手にとり、とくとくと傾け水をコップに注いだ。
ぺたんと床に座り込みしばしの休息。
「はぁ〜〜。冷たくて美味しい♪」
乾燥した気候のエジプト。すぐにまた喉が渇く・・・
しばらく冷たい水に喉を潤しながら、毎回こうして水を取りに部屋を移動するのも面倒かと思い両手に水差しとコップを持って、たどり着いた時と同じようにして寝台まで戻ろうとした。
「・・・・・・・・・何をしている・・・」
「えっ・・・・!!!!!!!」
ベッドに戻ろうとして振り返ると寝台の向こう側に逆光のシルエット
見慣れた輪郭と聞きなれた声
「メ・・・メンフィス!」
寝台は日当たりのよい庭に面している場所に置かれている。
彼は庭の方から部屋へやってきたらしい。
「い、いつの間に??!!」
「・・・そんなことはどうでもよかろう。あれほど『安静』にしておれと申し付けたに・・そなたという奴はまた・・・・・」
怒りを含んだ声でそう告げながら大股で歩み寄り、ひょいっとキャロルを抱き上げた。
「目を離せばすぐに勝手をしおって・・」
「あ・・あの・・・・そんなに無茶な事はしていないわよ。ただお水を飲みたくて・・・」
「うるさい!!そなた怪我を早く治す気はないのか!動き回って悪化したらなんとするのだ!!!わたしと約束したばかりであろう!完治するまでおとなしくしていると・・」
「だから怪我には触れないようにして・・・」
「この馬鹿者っ!!」
怒鳴り声にすくんでキャロルは一瞬体をこわばらせた。
それに気づき、メンフィスは眉間に小さな皺を寄せる。
黙ってキャロルを寝台に下ろし、キャロルの持っていた水差しとコップを取り上げた。
「喉が渇いたならいつでも飲ませてやる。」
重なる唇からこぼれる甘い水
キャロルの喉が静かに鳴る。
「・・・・メンフィスったら・・怒ってばかり」
「・・・・・・・・キャロル」
「いいわよ。わたしが悪いんでしょう?」
愛しくて・・心配でたまらないだけなのだ―――
なにも怒っているわけではない
様子を見にくればすぐにこのような状況なのだから。
動けないはずの今ですら、そなたは勝手にふらふらと動き出す。
気づかぬうちにどこかにいなくなりそうで、いつも目の中に入れておかねば落ち着かない。
拗ねた横顔の妃を黙って胸の中に抱き寄せ髪をなぜた。
メンフィスの小さな溜息
「・・・メンフィス?」
見上げたとたん、視線が急に高くなった。
体が宙に浮く
メンフィスがまた自分を抱き上げたのだ。
「どこへ行きたい?」
「え?」
「行きたい所を申せ。連れて行ってやる」
「・・・メンフィス?」
「そなたは動けぬのだ。わたしがそなたの足になろう。どこでも行きたい所へ連れて行ってやる。」
「そんな・・どうしたの?いきなり急にそんなこと言われても・・・・思いつかないわ。」
「・・・・・・」
じっと見つめられて戸惑ってしまった。
いきなりの有無を言わせない彼の行動はいつもの事だけど・・
そんな風に思いつめた瞳で見つめられると・・胸がドキドキしてしまう
「・・・・どこでも・・いいわ。貴方がつれていってくれる所なら」
「――――どこでも?」
「ええ。どこでも。貴方の腕の中ならどこでも・・・」
ことっとメンフィスの首筋に頭をもたげかけ、甘えるように胸にすがった。
温かくて安心できる腕の中
キャロルの頬に、ほぅっ・・と柔らかな微笑みがこぼれる。
涼しげな庭園の中を王がゆっくりと歩いていた
いつもであれば抱き上げると恥ずかしがってすぐにじたばたとしだすのだが、今日は思いのほかおとなしい。
キャロルが人目を気にするゆえに、なるべく他の者どもが立ち入れぬ場所を選んでいるが――――
気持ちよさげにうっとりとその身を自分の腕に預けきっている。
やわらかな風・・・
ずっとこのままでいたいような・・・・甘い時
怪我が治れば・・・こうはいくまい・・・
左足に巻かれた包帯が痛々しく目に映る
光の中を飛び回る生き生きとした姿に早く戻って欲しいと思う。
だが、こうしてわが身を頼りに寄り添うキャロルもまた愛しい。
「わたしの知らぬ間に・・大切な体に火傷など負いおって・・・」
「―――ごめんなさい。でもね、本当に自分でも覚えていないのよ。何故こんな火傷をしたのか全然分からなくて・・・・だけど・・・いいこともあるわね」
「―――? ・・・何がだ?」
「ふふっ」
キャロルがメンフィスの唇を掠め取った。
にこにこと嬉しそうに微笑みながら。
「だって・・メンフィス 優しいもの♪」
絶句したまま瞠目する。
それを見上げて、またくすくすと楽しげに笑う妃
「大好きよ メンフィス」
キャロル王妃の足が完治するまでの数日間・・・・・
毎日、最愛の王妃様を腕に宮殿内を散策されるファラオの姿がありました。
ゆっくりとした歩みで宮殿をめぐられる優美なお姿。
ファラオのこの上なくご機嫌なご様子を貴女はもうご覧になりまして?
下エジプト宮殿の庭園は、特にメンフィス王とキャロル王妃の『愛の花園』としてとても有名です。
お怪我が治られたその後も下エジプトの宮殿にご滞在があれば、必ず毎日お二人でこのお庭でのひとときを過ごされていますよ。
Fin.