愛の奥宮殿へ


『やきもちの処方箋』
Presented by さくら様


午前中の政務が思いのほか早く終わり、愛しい妃とゆっくり昼食を取ろうと奥宮殿に戻ったメンフィスは不快なものを目にした。

「うふふふ。」

彼の自慢の妃は、王妃の間から続く美しい庭園の庭先で機嫌良く笑っていた。
金色の髪を陽の光に煌めかせて花の中に立つ少女は、女神の娘の名に恥じぬほど美しい。
その花の容(かんばせ)に浮かんだうれしそうな微笑みは、メンフィスの心をとろかせるものであった―――――常であれば。

「――――――あの者は?」

メンフィスの言葉に彼の視線を追って、ナフテラは一人の若い男に行き当たった。
彼は、人なつこそうな顔に満面の笑みを浮かべ、何事かを話しては王妃を笑わせていた。
彼女のそばで庭園に咲き乱れる花々を指さしたり摘んだりしている。

「新しく参りました庭師にございます。若いですが腕は確か。人当たりも良く・・・。」
「奥への出入りは差し止めといたせ。」
みなまで言わさず、メンフィスは短く命じた。
「・・・メンフィスさま?」
「聞こえなんだか?」
訝しげに問いかけたナフテラだが、メンフィスの白刃のような視線に黙って頭を下げた。
「・・・かしこまりました。」
ナフテラの返答を聞いて、そのまま庭へ出ようとしたメンフィスだったが、思い出したように足を止め、そのまま女官長の顔を見ることなく命じた。
「キャロルには内密にいたせ。」
そのままナフテラの返答を待つことなく、メンフィスは豪奢なマントを払って陽光眩しい庭へと降りていった。

「――――なんと。深いご寵愛も周りの者には困りもの・・。」
ナフテラは罪無くして職場を追われる気のいい庭師の不幸に嘆息した。


――――気のいい庭師の姿が奥宮殿の庭から消えて数日後。

王と王妃が玉座に座る謁見の間に、王直々の注文品を携えた彫金師が訪れていた。
「まあ、すてきっ!」
宝石類にはあまり興味を示さないキャロルだが、考古学的見地から彫金師が携えてきた王家注文の品々に目を輝かせた。
「見事な細工だわっ!どうやって作るの?・・・ああ、これっ!見たこと無い文様よ。これはどういう意味があるの?」
注文内容とは直接関わりのない、純粋な興味を質問するキャロルの相手はもっぱら彫金師の親方が連れてきた若い弟子の役目となった。
優しげな顔立ちのその男は、王妃を前に顔を上気させながらもひとつひとつ丁寧に質問に答えていく。
そのうち話に夢中になった王妃は玉座を降り、弟子の手元を覗き込んで彫金細工談義に花を咲かせた。
・・・メンフィスの視線が尖ったことにも気づかずに。

「ああっ。興味が尽きないわ。またお話を聞かせて下さいね。」

彫金師が退出するにあたり、王妃が弟子にそう言葉をかけ、あまつさえ彼に微笑んだことにナフテラは不吉な予感を覚えた。

「あの者どもの王宮出入りを差し止めよ。」

案の定、奥へ下がる王妃を見送るとメンフィスはナフテラにそう命じた。
「・・・メンフィスさま。いい加減になされませ。」
ナフテラは嘆息した。
「キャロルさまにもあの者にも、特別な意図などあるはずがございませぬ。」
「当たり前だ。あってたまるか。」
「なれば・・。」
「気に入らぬのよ。キャロルが他の男に微笑みかけるなど気に入らぬ。」
傲岸に言い放つメンフィスにナフテラは再び嘆息した。
「それではキャロルさまの周りに男という男は近づけませぬ。
キャロルさまも気詰まりでございましょう。」
「・・・キャロルにはなにも申すな。」
「・・・メンフィスさま。」
ナフテラを手こずらせた幼子の頃そのままに、ふくれたように見えるメンフィスの横顔を三度目の溜息とともに彼女は眺めやった。
「・・・かしこまりました。それでは御前失礼致します。」
今はなにを言っても無駄、とナフテラは口を閉ざすと深々と礼をした。
この度し難い妬心をどうしたものか、と思案しながら。


――――さらに数日後の夕餉の席。

メンフィスはどことなく沈みがちなキャロルの様子が気になった。
「どういたした?気鬱に見えるが・・。」
眉を顰めるメンフィスに、キャロルはしょんぼりした顔を向けた。
「・・・わたし、なにか悪いことをしたのかしら?」
「なに?」
「ウナスやルカ、衛兵もなんだけど、・・・なんだかみんな、わたしを避けるの。」
「・・・避けると?」
「目を合わせてくれないの。話しかけてもよそよそしいし。・・・どうしたのかしら?」
「・・・・・・。」
もしやわたしの勘気を怖れてか、と心当たりのあるメンフィスは何も言えない。
「・・・どうしちゃったのかしら?ねえ、どう思う?メンフィス。」
メンフィスを見る蒼い瞳にみるみる涙が盛り上がり、つうっ、と零れた。
「!泣くな!そのようなことで・・・。」
「・・・だって。なんだか悲しいわ。みんな、わたしの家族とも思っているのに・・・。」
ほろほろと蒼い瞳から零れる涙が、実はメンフィスは一番苦手だった。
「な、泣くなっ。・・・よいっ。わたしが明日にでも、直々に聞き質して参ろう。」
「・・・でも、ファラオのあなたが聞いたならみんな萎縮してしまうわ。」
正論だ。メンフィスはうっ、と詰まった。
「・・・では、ウナスを召し出そう。あやつなら、間違ってもわたしにウソはつかぬ。」
「・・・そうね。」
しばらく考えてキャロルはにこっ、と笑った。
「ありがとう。メンフィス。そうしてくれる?・・・あ、でも罰したりとかしないでね。」
たおやかな身体を甘えるようにすり寄せるキャロルに腕を回して、メンフィスはうむ、と答えた。
「メンフィス、大好き。」
王妃の甘いキスを受けて、メンフィスは内心複雑であった。


「・・・やはり、そのようなことか。」
翌日、メンフィスの執務室で平伏するウナスに彼は嘆息した。
「も、申し訳ございませんっ。今やキャロルさまと視線が合うだけでメンフィスさまのお手討ちに合うとまことしやかに囁かれて・・・。」
「・・・そなたもそのような戯れ言を信じたと申すか。」
あり得る、と即座に信じたとは言えない。
「いえっ。わたしは・・・!」
「・・・とにかく、そのような噂は根も葉もない。一掃せよ。キャロルに泣きつかれたわ。
皆に避けられるとな。」
「・・・は。それはたいへん申し訳ないことを致しました。」
「もうよい。下がれ。」
「御前、失礼いたします。」
項垂れて下がっていくウナスを見送って、メンフィスは口を開いた。
「ナフテラを呼べ。」


「お呼びでございますか。」
穏和な女官長が姿を見せると、メンフィスは憮然としたまま言った。
「側近の男どもがキャロルを避けるような態度をとっておったこと、知っておろう。」
「・・・はい。存じ上げております。キャロルさまにもご相談を受けました。メンフィスさまのご勘気を怖れるあまり、とは推察いたしましたが、それをそのまま申し上げる訳にもいかず難渋しておりました。」
「・・・奥の差配はそなたの役目。・・・そなた、謀ってはおるまいな?なにゆえ、そのような噂が流れる?」
メンフィスの鋭い眼差しに、まあ、という顔でナフテラは答えた。
「とんでもございませぬ。謀るなど・・。メンフィスさまのキャロルさまへの眩しいほどのご寵愛は誰もが知るところ。そのような噂が流れることもございましょう。」
「・・・庭師の一件は関係ないと申すか。」
「そのようなことをお心にお留め置かれていらっしゃいましたか。」
ナフテラは柔和な笑みを零した。
「・・・確かにあの者は非の打ち所がない仕事ぶりでございました。加えて王妃さまの覚えもめでたかった者の突然の出入り差し止めはいかにも不自然。人の噂にも上りましょう。」
「・・・・・・。」
メンフィスは渋い顔で黙り込んだ。
「メンフィスさま。」
ナフテラは膝を進めた。
「美しい花を美しいと人々が愛でることをお許しいただけませぬか。花は愛でられてこそ花。より美しく咲き誇りましょう。ですがどれほど咲き誇っても、メンフィスさまのお手の中でメンフィスさまの為だけに咲いていることに変わりはございませぬ。」
「・・・・・・。」
メンフィスは腕を組んだまま、渋面を崩さない。
「メンフィスさま。どうか・・・。」
「・・・あれの髪一筋も微笑みの一欠片さえ、誰にも渡したくはない。その気持ちは生涯変わらぬ。・・・だがキャロルの涙を耐えられぬのもまた事実。・・・ふん。ここは折れるしかあるまい。」
「メンフィスさま。では・・。」
「・・・庭師を戻すがよい。他の者にも伝えよ。我が勘気を怖れることなく、敬意を持って我が妃に接するようにいたせと。」
「おお、メンフィスさま。ありがとうございます。」
ナフテラはうれしそうな笑顔で深々と礼をした。


色とりどりの花が咲き乱れる奥宮殿の庭園で、メンフィスは愛しい妃を見つけた。
「あっ。メンフィス!」
黄金の髪をふわり、と風に靡かせキャロルがメンフィスに駆け寄る。
「ほら、今朝咲いたの。きれいでしょう?」
「・・・そなたはまことに花が好きだな。」
薄紅の花束を抱える妻こそが貴重なる花の如きよ、と思いながらメンフィスはキャロルの笑顔に笑みを返す。
「そうよ。大好き。お部屋に飾るわ。」
「好きにいたせ。昼餉にするぞ。東屋にまいれ。」
キャロルの腕をとってすたすたと歩き出したメンフィスに彼女はあわてた。
「あん!待って!お花が・・。」
腕の中から零れ落ちた数本の花に視線をやりながら、キャロルは抗議する。
「王妃さま。わたくしがお預かりいたしましょう。」
気に入りの気のいい庭師が腕を伸ばす。
「そ、そう?じゃあ、お願いね。・・・きゃあっ。」
彼に花束を預けた刹那、キャロルはメンフィスに強く腕を引かれて、彼の腕に倒れ込んだ。
「〜〜〜〜〜〜!!もうっ。なにするのっ?」
「ふん。早くいたさぬからだ。」
「だ、だって、お花が・・。」
「ぐずぐずいたすな。昼餉を食す時間が無くなるわ。」
メンフィスはそういうと華奢な身体を軽々と抱き上げた。
「これが一番早い。」
すばやくキャロルの唇を奪いながら、メンフィスはにやり、と笑う。

キャロルの抗議の声とメンフィスの高らかな笑い声が遠ざかるのを聞きながら、庭師はぞくっ、と身を震わせた。
刹那に彼に投げられた、ファラオの凶悪な眼差しを思い出して・・・。


「ほんに、よかったこと。」
その光景をそっと見つめてナフテラは満足げな溜息をついた。
「睨みつけるくらいなら、かわいいもの。メンフィスさまが妬心は妬心として、お心の内に抑える気になって下さってほんによかった。」
慈母の如き微笑を浮かべてナフテラは呟いた。
「おしゃべりな侍女もたまには役に立つもの。」


――――彫金細工師の出入り差し止めを命じられたあの日。

ナフテラはファラオの妬心を抑えるために一計を案じた。

「ほんにメンフィスさまのご執心にも困ったもの。このままではキャロルさまに視線を合わせただけでお手討ちにされる日がくるやもしれませぬ・・・・。」

独り言の風を装い、特におしゃべり好きな若い侍女の前を選んで、溜息混じりに呟いてみせたのだ。
それで充分だった。
瞬く間に、噂は奥宮殿中の者が知るところとなった。

「キャロルさまにだけはお弱くていらっしゃるから。」
天下に怖れる者なきファラオの、唯一の弱点を的確に捕らえて見事かの人を御し得た女官長は、ほほほと笑った。



Fin